萩原静子
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文政元年(1818年) |
死没 | 明治21年(1888年) |
別名 | お静の方・萩原幹子 |
戒名 | 寿行院 |
墓所 | 青山霊園 |
官位 | 正五位下 |
氏族 | 萩原家、橋本家 |
父母 | 萩原員維、吉田信子 |
兄弟 | 萩原員光 |
夫 | 橋本実麗 |
子 | 橋本麗子、橋本実梁、橋本松子 |
萩原 静子(蘒原静子)(はぎわら しずこ)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の公家女性。橋本実麗の正室。
経歴
[編集]父は正二位左馬頭萩原員維。母は吉田良連の娘・信子。父の母は家女房だが、祖父萩原従言の正室(祖母)は甘露寺規長の娘・常子である。1830年頃に橋本実麗と婚約する。橋本麗子、橋本松子を産む。2人には女児にしか恵まれず、小倉輔季の子・橋本実梁を養子にむかえる。また麗子が夫・東坊城夏長と離縁し、まだ生まれて間もない橋本夏子を連れ帰った際には養育する。後に夏子が明治天皇の側室として宮仕えする際にも父・橋本実麗、生母・萩原静子として届けられている。