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萩原静子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
萩原 静子
時代 江戸時代
生誕 文政元年(1818年
死没 明治21年(1888年
別名 お静の方萩原幹子
戒名 寿行院
墓所 青山霊園
官位 正五位下
氏族 萩原家橋本家
父母 萩原員維吉田信子
兄弟 萩原員光
橋本実麗
橋本麗子橋本実梁橋本松子
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萩原 静子(蘒原静子)(はぎわら しずこ)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の公家女性。橋本実麗の正室。

経歴

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父は正二位左馬頭萩原員維。母は吉田良連の娘・信子。父の母は家女房だが、祖父萩原従言の正室(祖母)は甘露寺規長の娘・常子である。1830年頃に橋本実麗と婚約する。橋本麗子橋本松子を産む。2人には女児にしか恵まれず、小倉輔季の子・橋本実梁を養子にむかえる。また麗子が夫・東坊城夏長と離縁し、まだ生まれて間もない橋本夏子を連れ帰った際には養育する。後に夏子が明治天皇の側室として宮仕えする際にも父・橋本実麗、生母・萩原静子として届けられている。

出典

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関連項目

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