萩原鐐太郎
萩原 鐐太郎(はぎわら[1][2] / はぎはら[3] りょうたろう、1843年7月2日(天保14年6月5日[4])- 1916年(大正5年)7月31日[3][5])は、明治から大正初期の養蚕家、篤農家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]上野国碓氷郡東上磯部村(群馬県[3]碓氷郡東上磯部村[2]、磯部村[5]東上磯部[1]、磯部町、安中町を経て現安中市[1])で、豪農[2]・萩原四郎左衛門、とま子の第二子(二男)として生れた[1][4]。母が出産直後に死去したため[4]、代々里正を務める家の叔父・萩原弥左衛門の養子となる[1][4]。佐々木愚山に師事し和漢の群書を学び[1][4]、山口藤十郎に剣術を、水戸藩士・黒田健之助に柔術・居合を学んだ[1][4]。
1858年(安政5年)養父の死去に伴い家督を相続し[4]、同年7月11日(6月1日)里正に就任した[2][4]。1870年1月(明治2年12月)岩鼻県24区肝煎名主となり1871年(明治4年)まで務めた[1][6]。その後、北第21大区副区長、同大区内地租改正総代人、第21大区長代理、碓氷郡書記、東上磯部村西上磯部村下磯部村大竹村戸長、学務委員、碓氷郡長、東上磯部村会議員、東上磯部村連合戸長、碓氷郡所得調査委員、同郡徴兵参事員、同郡名誉参事会員、群馬県勧業諮問委員などを務めた[1][7]。
1882年(明治15年)3月、群馬県会議員に選出され、通算6期在任した[8]。湯浅治郎、宮口二郎らと廃娼運動に参加した[2]。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(群馬県第5区、山下倶楽部)で当選し[1][2][9]、衆議院議員に1期在任した[3][5]。
1878年(明治11年)5月、萩原音吉、萩原専平らと碓氷社を設立[1][10]。その目的は、参加農民の養蚕と製糸の向上を図り、生糸の品質を向上し価格を上げ、農民の利益を増大させることにあった[11]。1885年(明治18年)同社長に就任[1][3][5]。1911年(明治44年)社長を辞任して顧問となった[12]。その他実業界では、農商務省開設蚕糸業諮問会委員、大日本蚕糸会評議員、産業組合中央会群馬支会副会長、群馬県産業調査委員などを務めた[1]。
群馬県会選挙歴
[編集]- 1882年3月23日当選(1期)[8]
- 1884年4月21日当選(2期)[8]
- 1885年12月6日当選(3期)[8]
- 1890年2月27日当選(4期)[8]
- 1891年2月28日当選(5期)[8]
- 1896年8月4日当選(6期)[8]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『群馬県人名大事典』413頁。
- ^ a b c d e f 『群馬新百科事典』618頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』500頁。
- ^ a b c d e f g h 『村に生きる人びと』212頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』354頁。
- ^ 『村に生きる人びと』213頁。
- ^ 『村に生きる人びと』337-340頁。
- ^ a b c d e f g 『村に生きる人びと』339頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』79頁。
- ^ 『村に生きる人びと』216頁。
- ^ 『村に生きる人びと』217頁。
- ^ 『村に生きる人びと』227頁。
参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 佐々木潤之介監修『村に生きる人びと:東上磯部村と萩原鐐太郎』萩原鐐太郎記念出版刊行会、1975年。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。