菟野大伴
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菟野 大伴(うの の おおとも)は、飛鳥時代の人物。姓は不詳。693年に典鑰の官にあり、盗みの罪で位を落とされ、解任された。
出自
[編集]後述の事件の文中に、菟野大伴ら犯人の姓は記されない。大伴男人ら別の事績が伝わる人物については、姓があったことが知られるので、菟野も無姓ではなく、罪人であるために省かれたようである[1]。菟野氏は古くは宇努(ウヌ)とも記される朝鮮系渡来氏族だが、複数の系統があり、首姓・造姓は百済王族が[2]、連姓は新羅王族が出自とされる[3]。大伴がどの系統に属するか明らかでないが、天武天皇12年(683年)10月5日に連の姓を授けられた菟野馬飼造の一族[4]、あるいは首姓の一族[5]とする説がある。
事績
[編集]『日本書紀』の持統天皇7年(693年)4月22日条にのみ見える。この日、天皇の詔があり、内蔵允・大伴男人が坐贓の罪で位2階、典鑰の置始多久、菟野大伴が位1階を下げられ、みな解任された。典鑰は官の倉庫の鍵を管理する官職で、明記はされないものの、彼らは内蔵寮の倉庫から官物を盗んだようである[6]。