菊崎貫一
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菊崎 貫一(きくざき かんいち、1882年(明治15年)9月28日[1] - 没年不明)は、日本の商人(牛肉製氷商[2]、牛肉商[3]、生肉商[4]、皮革商[5])、実業家、広島県多額納税者[5][6][7]。菊崎牛皮筋骨類製造所、菊崎獣皮工場各代表[8]。昭和罐詰合資会社無限責任社員[9]。族籍は広島県平民[4]。
経歴
[編集]広島県人・菊崎福次郎の三男[5]。1910年、分家して一家を創立した[5]。製皮業[6][7]、缶詰製造販売業[9]、屠牛業[10]などを営んだ。
人物
[編集]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。住所は広島市福島町[2][5][11]。
『全国工場通覧』によると菊崎貫一が代表の菊崎牛皮筋骨類製造所は「生産品目・牛皮で、開業年月は大正5年1月」、菊崎獣皮工場は「生産品目・牛皮、牛筋、牛爪その他で、開業年月は大正5年1月」である[8]。『帝国信用録 第25版 昭和7年』によると菊崎貫一の職業は「牛肉、製紙で、開業年月は「明治41年」である[11]。
『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』によると、菊崎貫一(調査年月・1932年7月)は「正身身代・不詳、信用程度・D、職業・牛肉製紙」である[12]。『商工人名録 昭和8年』には「営業種目・牛肉 屠畜、製紙、化製業、陸海軍用達、区別・製、卸、創業年月・明治43年」とある[13]。
家族・親族
[編集]- 菊崎家
脚注
[編集]- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』485頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版』広島8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月14日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第28版』キ、ユ、メ、ミ之部29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』き60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』キ39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 広島県62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月13日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県60 - 62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ a b 『全国工場通覧』681、686頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月22日閲覧。
- ^ a b c 『官報 1927年10月11日』官報 第237号 278頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月7日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第41版』キ、クの部8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月27日閲覧。
- ^ a b 『帝国信用録 第25版 昭和7年』広島36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月9日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』広島県き之部46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月10日閲覧。
- ^ 『商工人名録 昭和8年』16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月25日閲覧。
- ^ 『肉と乳 = Meat and milk 3(5)』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 『肉と乳 = Meat and milk 3(5)』肉食奨励会、1912年。
- 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1927年10月11日』日本マイクロ写真、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 商工省大臣官房統計課編『全国工場通覧』日刊工業新聞社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 帝国興信所『帝国信用録 第25版 昭和7年』帝国興信所、1932年。
- 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』商業興信所、1933年。
- 広島商工会議所編『商工人名録 昭和8年』広島商工会議所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。