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菅生石部神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅生石部神社

拝殿
所在地 石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
位置 北緯36度18分46.9秒 東経136度19分14.9秒 / 北緯36.313028度 東経136.320806度 / 36.313028; 136.320806 (菅生石部神社)
主祭神 菅生石部神
社格 式内社(小)
加賀国二宮
国幣小社
別表神社
創建 (伝)用明天皇元年(585年
本殿の様式 流造
例祭 2月10日
地図
菅生 石部神社の位置(石川県内)
菅生 石部神社
菅生
石部神社
地図
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鳥居

菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は、石川県加賀市大聖寺敷地にある神社式内社加賀国二宮で、旧社格国幣小社。現在は神社本庁別表神社。通称を「敷地天神」・「菅生天神」とも。

祭神

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現在の祭神は「菅生石部神」となっており、これは天津日高日子穗穗出見命豐玉毘賣命鵜葺草葺不合命の三柱の総称としている。

祭神については諸説あり、少彦名神とする説もある。菅生石部神の本体三柱も、元は祭神の諸説の一つであった。

歴史

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社伝によれば、用明天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるという。延喜式神名帳では小社に列し、加賀国二宮とされた。古来より朝廷・武門からの崇敬が篤く、天慶3年には正四位下神階が授けられた。『平家物語』巻七には、木曾義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したとの記述がある。中世には、一帯は北野天満宮の社領となっていた。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で境内に牛の像が残っている。

明治29年(1896年)に国幣小社に昇格した。

京都の敷地神社(わら天神)は、当社からの勧請と伝える。

境内

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祭事

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毎年2月10日例祭では、「竹割り祭り」の異名を持つ御願神事(ごんがんしんじ)が行われる。御願神事は1987年に石川県指定無形民俗文化財となる[1]

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 蒔絵角赤手箱(附 文章1巻)(工芸品) - 東京国立博物館寄託。1900年(明治33年)4月7日指定[2]
  • 正親町天皇宸翰御詠草 永禄四年八月十五日夜三条西公条点(書跡・典籍) - 石川県立美術館寄託。1900年(明治33年)4月7日指定[3]

石川県指定文化財

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  • 無形民俗文化財
    • 御願神事 - 1987年(昭和62年)3月23日指定[4]

加賀市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 菅生石部神社神門(建造物) - 1976年(昭和51年)7月19日指定[4]
    • 藤原共方1巻 左聴等1巻 前田利長3巻 前田利常1巻 前田利治利明1巻(古文書) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 洲崎久利筆縁起書1巻 前田利明筆縁起書1巻(典籍) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 社禄書(足利義持 山口玄蕃 前田利長 前田利常) 4巻(古文書) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 絹本著色天神画像 伝狩野元信筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 絹本著色天神画像 伝土佐光信筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 絹本著色寿老人図 伝周文筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本墨画野馬図 伝雪舟筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本著色源氏絵 伝土佐光信筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 絹本著色黄初平図 伝趙子昂筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本著色三十六歌仙図 伝土佐光信画 近衛殿筆(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本著色三十六歌仙図 作者不詳 上倉左衛門奉納(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本著色三十六歌仙図 作者不詳(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 紙本和歌三神図(絵画) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 明青花唐人物図燭台 2点(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 明交趾孔雀牡丹紋花瓶(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 色絵鶏形香炉(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 三つ葉葵紋入白銅鏡(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 黒地葵紋散蒔絵雛道具 18点(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 能面(橋姫 浅井増女 翁) 3面(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 白地綸子地水仙唐花丸形模様縫小袖及び白絹 各1点(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 矢及び上指矢 11本(工芸品) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 眉作箱(内容物共) 7点(工芸品) - 2010年(平成22年)1月26日指定[4]
    • 伝後光厳天皇宸翰御詠草(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 伝後奈良天皇宸翰御詠草(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 社号額書 大覚寺宮筆(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 阿弥陀名号 伝菅原道真筆(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 和歌集写本 藤原家隆筆(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 書 伝文覚上人筆(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 法華経題目 伝加藤清正筆(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
    • 歌合集 鷹司左大臣他十人(書跡) - 加賀市美術館寄託。1959年(昭和34年)7月13日指定[4]
  • 有形民俗文化財
    • 伝潮干玉 潮満玉 2点(工芸品) - 1959年(昭和34年)7月13日指定[4]

脚注

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  1. ^ 加賀市教育委員会(文化財保護課)
  2. ^ 蒔絵角赤手箱 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 正親町天皇宸翰御詠草 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 指定文化財一覧(加賀市ホームページ)。

関連文献

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外部リンク

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