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菅原安信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

菅原 安信(すがわら あんしん、1932年or1933年 - 2013年3月24日[1])は、日本ジャーナリスト[1]北海道テレビ放送(HTB)、北海道放送(HBC)でアナウンサーを務めた[2]

経歴

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函館市生まれ[3]1955年明治大学法学部を卒業し[3]、北海道放送(HBC)に入社[3]。同局で14年間アナウンサーを務める[2][3]

その後、1969年に北海道テレビ放送(HTB)へ移る。編成部長兼製作部長[4]、週刊ミレ事業部長などを務め、アナウンサー職から遠ざかっていたが[2]、1981年10月、『ニュースロータリー』のキャスターとなる[2][5]。自ら口ひげをトレードマークとし[2]、「ヒゲのニュースキャスター」として親しまれた。番組の冒頭には毎回欠かさず「ごきげんよう!!菅原安信です」とスタジオ見学者や視聴者に挨拶していた。この他、『気分は天気』にはウェザーマンとして出演した[6][7]

HTB時代には、「札幌サケの会」発起人13人の1人となり[8]、「カムバックサーモン運動」を提唱[1]

1993年、HTBを退職。退職後は、サーモン交流の縁で、カナダバンクーバーに移住し[1]、カナダ国内向け日本語放送・環太平洋文化交流協会のアナウンサー・理事を勤めた[9]

2013年3月24日死去。享年81歳[1]

出演

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HTB

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脚注

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  1. ^ a b c d e 移住者ジャーナリスト 故・菅原安信さんの三回忌を迎えて - The Bulletin”. JCCA Bulletin. 2017年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社): P11. (1981-09-11). 
  3. ^ a b c d “テレビ 私の番組づくり”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社): P9. (1983-01-27). 
  4. ^ “HTB人事”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社): P2. (1973-04-02). 
  5. ^ 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第39号、北方圏センター、1982年4月25日、111頁、NDLJP:2832855/56 
  6. ^ a b 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第55号、北方圏センター、1986年4月10日、111頁、NDLJP:2832871/56 
  7. ^ a b 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第60号、北方圏センター、1987年7月1日、115頁、NDLJP:2832876/58 
  8. ^ サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館)|マルハニチロ株式会社”. www.maruha-nichiro.co.jp. 2024年8月13日閲覧。
  9. ^ 移住者の活躍する団体「海のルビー」”. 2024年8月13日閲覧。
  10. ^ 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第39号、北方圏センター、1982年4月25日、111頁、NDLJP:2832855/56 
  11. ^ 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリ公式ページ. 2023年7月4日閲覧。