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荘定帝姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荘定帝姫
続柄 仁宗第四皇女

称号 宝和公主(追贈:荘定大長帝姫)
身位 公主
出生 慶暦元年(1041年
死去 慶暦3年(1043年)8月6日
(享年3)
父親 仁宗
母親 才人張氏
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荘定帝姫(そうていていき)は、北宋仁宗の四女。

経歴

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才人張氏(後に修媛・貴妃・温成皇后となった)の次女として生まれた。荘順帝姫の同母妹で、荘慎帝姫趙幼悟の同母姉である。

慶暦元年(1041年)に生まれた。慶暦3年8月1日(1043年9月12日)、宝和公主に封ぜられたが、5日後(9月17日)に死去し、越国公主の位を追贈された。公主の母の修媛張氏は間もなく病となり、「所以召災者、姿薄而寵厚也。願貶秩為美人、庶幾可以消咎譴」と言って、美人への降格を求めた。

嘉祐4年(1059年)12月に秦国公主の位を再追贈された。治平元年(1064年)6月、再従兄の英宗から楚国長公主の位を再追贈された。元符3年(1100年)3月、徽宗から鎮国大長公主の位を再追贈された。政和4年(1114年)12月、荘定大長帝姫の位を再追贈された。

伝記資料

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  • 宋史
  • 『宋会要輯稿』