荒雄川神社 (大崎市鳴子温泉鬼首)
荒雄川神社 (鳴子温泉) | |
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所在地 | 宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字久瀬3番地 |
位置 | 北緯38度47分34.8秒 東経140度39分31.8秒 / 北緯38.793000度 東経140.658833度座標: 北緯38度47分34.8秒 東経140度39分31.8秒 / 北緯38.793000度 東経140.658833度 |
主祭神 | 大物忌神 |
社格等 |
村社 式内社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 神明造 |
別名 | 奥宮(嶽宮)、三十六所明神 |
例祭 | 9月9日、9月10日 |
地図 |
荒雄川神社(あらおがわじんじゃ)は、宮城県大崎市鳴子温泉郷の鬼首温泉にある神社である。
旧社格は村社。玉造郡延喜式式内社三座のうちの一座。「荒雄川」は江合川の別称である。
祭神
[編集]- 大物忌神を主祭神として祀る。
- その他に、鬼首温泉に鎮座する神社の神々である素戔嗚命、誉田別命、軻遇突智命、大山祇神、日本武尊を合祀している。
- 境内社として、雷神社(祭神:大雷神)と八幡神社(祭神:誉田別命)、主馬神社(祭神:金華山号)が鎮座している。
由緒
[編集]創建は不詳である。荒雄岳には雄石・雌石という2つの大石があり、その下から荒雄川の源泉となる水が湧き出ているという。その大石を『大物忌石』『大物忌神』と呼称し、社殿を建てて祀ったと伝わる。
社伝や由緒によれば、もとは「荒雄河神社」と称し、荒雄岳の水神峠付近に江合川(荒雄川)の水源があり、そこに社殿を設けて荒雄川の水への畏敬の念を込めて水神である大物忌神を奉斎したという。荒雄川流域にも、大物忌神の神霊を祀る三十六ヶ所の神社が建てられた。その後も羽黒派修験の道場となったが、時代とともに荒廃したため、明治5年(1872年)に現在の鎮座地へ遷座した。岩出山池月の荒雄川神社に対して奥宮(嶽宮)と呼ばれる。
主馬神社
[編集]荒雄川神社拝殿南側に境内社である主馬神社が鎮座している。祭神として明治天皇の御料馬である金華山号を祀る。
金華山号は明治2年(1869年)鬼首の生まれで、幼名は「起漲(きちょう)」、栗毛のオス馬だった。明治9年(1876年)の明治天皇の奥羽地方巡幸の際、天皇の目に止まり御料馬に召し上げられ「金華山号」[注 1]に改名した。
金華山号は、境内の説明によると、
- 近衛秋季機動演習の天覧の際に、他の供奉の馬が砲声に恐れ慄き逃げ出そうとしている中、金華山号だけが泰然として何事もなかったかのように歩いた。
- 突然の雷雨で板橋が浮くようなことがあっても、金華山号だけが前足で安全を確認しながら静々と橋を渡った。
- 明治天皇が騎乗するときは前脚をひざまづき、体を低くかまえた。
- 明治天皇の観兵の折、急に大雨が降り足元の土が流失しようとも三本足にて体を支え、少しも動くことがなかった。
など、いかに優れた馬であったかを伝える逸話が残されている。
明治28年(1895年)に金華山号は老衰で死去した。金華山号を特に寵愛した明治天皇の意向により剥製にされ、聖徳記念絵画館に安置されている。
明治24年(1891年)に当時の社掌であった高橋盛喜が発起人となり、皇居外苑の楠木正成像の馬の部分を制作した初代後藤貞行が金華山号の木像制作の依頼を受け、明治34年(1901年)にケヤキ材を用いて等身大の金華山号の木像を鬼首温泉で制作した。その年の東北特別大演習の際に天覧に供され、その後、荒雄川神社奥宮の境内社として建てられた主馬神社の神体として納められた。 神体である金華山号の木像は、毎年9月9日・10日に行われる例祭の時だけ開帳される。平時も拝殿のガラス扉越しに見ることができ、扉の横のボタンを押せば上記の音声説明とともに拝殿のライトがつく。
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主馬神社拝殿
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金華山号の木像
境内
[編集]- 参道:参道の階段を上がったところには長床がある。
- 社殿(拝殿・幣殿・本殿)
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荒雄川神社奥宮鳥居
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参道石階段と長床
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荒雄川神社奥宮境内
左の社殿が主馬神社、右が荒雄川神社奥宮 -
荒雄川神社奥宮拝殿
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荒雄川神社奥宮本殿
- 主馬神社
- 雷神社
- 八幡神社
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主馬神社
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雷神社
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八幡神社