荒金天倫
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(荒金きよしから転送)
荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4日 - 平成2年(1990年)1月7日)は、日本臨済宗の禅僧。
臨済宗方広寺派第九代管長。道号は天倫、諱は義堂、室号は碧雲室(へきうんしつ)。俗姓荒金。禅僧からジャーナリスト、そして再び禅僧になるという、ユニークな経歴を持つ。
経歴
[編集]- 大正9年(1920年)、3月4日、大分県大分市に生まれる(戸籍名:喜義)。北九州市若松の臨済宗高岳寺(第一世住職が父の荒金雲外)で育つ。
- 昭和9年(1934年)、万寿寺の師家奥大節(おくだいせつ)老師につき得度し、弟子入り。
- 昭和12年(1937年)、県立大分中学校卒業後、京都市嵐山天龍僧堂に掛搭し、関精拙(せきせいせつ)管長、関牧翁(せきぼくおう)老師に参禅。
- 昭和17年(1942年)、南方軍報道部員として従軍。シンガポール、サイゴン、ハノイなどに在住。
- 昭和21年(1946年)、復員。翌年、夕刊フクニチ新聞に入社。
- 昭和27年(1952年)、京都新聞に入社。社会部長、企画部長、編集委員を歴任。
- 昭和42年(1967年)、京都新聞退社、福井放送取締役に就任。
- 昭和45年(1970年)、奥大節方広寺派管長(前萬寿寺僧堂師家)の遷化に遭い、天龍寺管長関牧翁に再参し、法を嗣ぐ。
- 昭和55年(1980年)、臨済宗方広寺派三生院住職。
- 昭和59年(1984年)、臨済宗方広寺派第九代管長に就任。
- 平成2年(1990年)、1月7日、肝臓ガンのため死去、69歳。
著書
[編集]- 『日本人物百年史 幕末・明治・大正・昭和』(1958年、京都新聞) - 荒金義喜名義
- 『京都史話』(1966年、創元社) - 荒金義喜名義
- 『大澤善夫』(1968年、大善) - 荒金義喜名義
- 『四方翁を語る』(1969年、発行者:大宮庫吉(宝酒造)) - 荒金義喜名義
- 『花の百年(藤井大丸百年史)』(1970年、藤井大丸) - 荒金義喜名義
- 『京都自動車史 社団法人京都府自動車整備振興会二十年史』(1970年、社団法人京都府自動車整備振興会) - 荒金義喜名義
- 『山こそわが生命~北山杉と山本末治~』(1971年、発行者:山本徳次郎) - 荒金義喜名義
- 『めおと飛脚』(1973年、京都自動車新聞社) - 荒金義喜名義
- 『うまいもの屋 (京都・大阪・神戸篇)』(1973年、京都篇:荒金義喜、週刊現代編集部編、講談社)
- 『いだてん飛脚』(1975年、講談社) - 荒金きよし名義
- 『心を建てる 公成建設株式会社五十年史』(1977年、公成建設) - 荒金義喜名義
- 『現代を生きる』(1986年、鈴木出版) - 荒金天倫名義
- 『死を見つめる心の科学』(1989年、荒金天倫・高田明和共著、講談社)
- 『禅僧ガンと生きる(荒金天倫老師の1,200日)』(1990年、鈴木出版編集部編、鈴木出版)
レコード
[編集]- 「めおと雲」(EMIミュージック・ジャパン(東芝EMI)、1974年1月)
- 「博多の夜」(東芝EMI、1974年2月)
- A面「博多の夜」
- 作詞:荒金きよし、作曲・編曲:斉藤恒夫、唄:亜里ひろみ
- B面「京都物語」
- 作詞:荒金きよし、作曲・編曲:斉藤恒夫、唄:亜里ひろみ
- A面「博多の夜」
- 「茶の心」(ポニーキャニオン(キャニオンレコード)、企画総合プロデュース:荒金きよし)
- 「日曜辻説法」荒金天倫法話
コマーシャルソング
[編集]- 新ハマムラ(作詞:荒金きよし、作曲:島津伸男、唄:山田太郎)
- 石田衡器製作所(作詞:広瀬考三郎、補詞:荒金きよし、作曲:米山正夫、唄:水前寺清子)
- 京都岡崎ホテル(作詞:荒金きよし、作曲:小杉仁三、唄:西郷輝彦)
- ゴールド西洋軒(作詞:荒金きよし、作曲:小杉仁三、唄:水前寺清子)
- 川島織物(社歌)(作詞:荒金きよし、作曲:藤山一郎)
テレビ出演
[編集]- 「にっぽんズームアップ」(NHK総合、1989年6月15日)
- 「だるまの耳」(SBS静岡放送)
などに出演
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