荒木城
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荒木城 (兵庫県) | |
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別名 | 細工所城 |
城郭構造 | 山城 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 荒木氏綱 |
廃城年 | 天正6年(1578年)? |
遺構 | 曲輪、堀切、竪堀、虎口[1] |
位置 | 北緯35度5分34.2秒 東経135度19分20.3秒 / 北緯35.092833度 東経135.322306度座標: 北緯35度5分34.2秒 東経135度19分20.3秒 / 北緯35.092833度 東経135.322306度 |
地図 |
荒木城(あらきじょう)は、現在の兵庫県丹波篠山市細工所(旧・丹波国多紀郡)にあった日本の城(山城)[1]。細工所城とも呼ばれる[2]。
概要
[編集]籾井城の北西2.7kmの山岳にあり、標高404m、比高170mの山頂に位置した[1]。城の南麓を東西南北に街道が通っており、交通の要衝となる[1]。荒木城南西の麓には細工所砦があり、荒木城の防御を担った[3]。
『丹波志』によると城主は荒木氏綱といい[1]、天正6年(1578年)4月、明智光秀が滝川一益、丹羽長秀とともに攻めた「荒木山城守城[4]」がこの荒木城と考えられる[5][6][7]。荒木城の東600mの位置にある鉄砲丸と北西2.2kmに位置する清滝山城は、荒木城を攻めるための陣城としてこの時築かれたとみられる[8]。『信長公記』によると、4月10日、明智方により水の手が止められたことで落城した[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 高橋 2019, p. 96.
- ^ 高橋成計 著「城郭データ」、八上城研究会 編『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年、288頁。ISBN 4-87088-996-X。
- ^ 高橋 2019, p. 98.
- ^ 年未詳4月17日付丹羽長秀書状(『兵庫県史』史料編、中世II〈兵庫県、1987年〉所収)。
- ^ a b 高橋 2019, p. 78.
- ^ 福島克彦『明智光秀』中央公論新社〈中公新書〉、2020年、90頁。ISBN 978-4-12-102622-4。
- ^ 金子拓『信長家臣明智光秀』平凡社〈平凡社新書〉、2019年、167頁。ISBN 978-4-582-85923-2。
- ^ 高橋 2019, pp. 78–79, 99, 100–101.
参考文献
[編集]- 高橋成計『明智光秀の城郭と合戦』戎光祥出版〈図説 日本の城郭シリーズ13〉、2019年。ISBN 978-4-86403-329-9。