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荒憲一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒 憲一
生誕 (1939-01-03) 1939年1月3日
出身地 日本の旗 日本 福島県相馬市
死没 (2020-06-06) 2020年6月6日(81歳没)
学歴 東京芸術大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日[1] - 2020年6月6日[2])は、日本出身のピアノ奏者[3][4]

福島県相馬市出身。東京芸術大学付属高校を経て東京芸術大学に進学し、田村宏永井進にピアノを師事。1954年に全日本学生音楽コンクールの高校の部で第1位を獲得。1963年に東京交響楽団との協演で初舞台を踏み、デビュー・リサイタルを開いた後にドイツに留学してベルリン芸術大学ヘルムート・ロロフの薫陶を受けた。1966年にベルリン放送交響楽団と共演してドイツ・デビューを果たした。また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演した縁で1978年にトーマス・ブランディス、オトマール・ボルヴィツキーの各氏とベルリン・フィルハーモニー・ピアノ・トリオを結成した。また京都市立芸術大学大阪芸術大学などで後進の指導にも当たった[5]

2020年6月6日、ベルリンの自宅にて死去[2][5][6]

脚注

[編集]
  1. ^ アーカイブ 2020年6月27日 - ウェイバックマシン
  2. ^ a b “荒憲一さん ピアニスト”. 東京新聞. (2020年6月18日). オリジナルの2020年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/IzpmZ 2020年6月27日閲覧。 
  3. ^ アーカイブ 2020年6月28日 - ウェイバックマシン
  4. ^ 荒 憲一 (ARA Kenichi) プロフィール”. 2020年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月28日閲覧。
  5. ^ a b “荒憲一氏死去 ピアニスト|全国のニュース|佐賀新聞LiVE”. 佐賀新聞. (2020年6月12日). オリジナルの2020年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/S4LuC 2020年6月28日閲覧。 
  6. ^ “荒憲一氏死去 ピアニスト|全国のニュース|Web東奥”. Web東奥. (2020年6月12日). オリジナルの2020年6月29日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/95BCB 2020年6月29日閲覧。