草野政信
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草野 政信(くさの まさのぶ、1838年12月23日〈天保9年11月7日 〉- 1912年〈大正元年〉11月8日[1])は、江戸時代の武士、明治時代から大正時代の実業家、銀行家。
来歴
[編集]紀州藩士の草野三助の長男として天保9年に生まれた[2]。維新後に設置された、藩の民政局の参事を務めた[要出典]。1872年(明治5年)家督を相続した[2]。
第十五銀行の設立に関わり、同行の取締役や丁酉銀行取締役を務めた。日本鉄道会社委員も務めた。1903年(明治36年)時点での住所は東京府東京市麻布区飯倉片町24[2]。
和歌山にいた時、後に歴史学者となる三宅米吉を指導し、東京でも自宅に下宿させていた[要出典]。
親族
[編集]- 妻:某 ? - 1891年(明治24年)4月19日没
- 養子:武雄 1874年(明治7年)9月 -
弟草野可孝の次男 - 養女:しず 1883年(明治16年)10月 -
弟草野可孝長女。大審院検事の三橋市太郎の妻となる。 - 弟:草野可孝 ? - ?
陸軍輜重兵陸軍中尉であったが、過度の飲酒により免官となった。その元妻は松尾三代太郎の姉。