茨田久比麻呂
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茨田 久比麻呂(まんだ の くひまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓はなし。山背国紀伊郡の人。
孝謙朝の天平勝宝3年(751年)3月の「茨田久比麻呂解」によると、一族の石男・大垣とともに、大宅賀是麻呂と良賤を争い、山背忌寸族登与足らの東大寺奴婢18人(見寺侍17人)が庚午年籍より五比七比の祖父母籍に良人として貫され、賤民にあらざることを訴えたことが見えている[1][2]。
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