野田市立中央小学校
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(茂木学校から転送)
千葉県野田市立中央小学校 | |
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校章レリーフ(1928年) | |
北緯35度56分48秒 東経139度51分49秒 / 北緯35.94661度 東経139.86348度座標: 北緯35度56分48秒 東経139度51分49秒 / 北緯35.94661度 東経139.86348度 | |
過去の名称 | 愛光小學校 茂木小學校 野田尋常高等小學校 野田國民學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千葉縣野田町 茂木家 |
併合学校 | 上花輪尋常小学校・中野台尋常小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
分校 | 宮崎・清水台・柳沢、上花輪・吉春・岩名・横内・山崎、 |
学校コード | B112210002763 |
所在地 | 〒278-0037 |
千葉県野田市野田611 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
野田市立中央小学校(のだしりつちゅうおうしょうがっこう)は千葉県野田市の中央地区にある公立小学校。
概要
[編集]千葉県野田市立中央小学校は、1873年(明治6年)に学制が施行されるとともに創立された、全国的にも古い歴史のある小学校である。
校舎は、関東大震災後の1928年(昭和3年)と1932年(昭和7年)に、堅牢な鉄筋コンクリート造り3階建の大規模小学校舎が建築され、現在に至っている。
特に千葉県最古の鉄筋コンクリート造校舎建築であり、昭和初期当時の東京市の復興小学校にも劣らない、瀟洒なレリ-フのファサードや、亀甲萬の柱頭飾り、半円形アーチの連なる廊下など、特徴的デザインを有し、歴史的な建造物として高く評価され、経済産業省の近代化産業遺産に認定され、かつ国の登録有形文化財に登録されている。
歴史
[編集]- 1873年(明治6年) - 学制が施行。 愛光小学校が開校。
- 1875年(明治8年) - 校名を野田小学校と改称。
- 1876年(明治9年) - 醤油醸造家茂木佐平治が新校舎を寄付し、校名を茂木学校と改称[1][2]。
- 1879年(明治12年) - 上花輪、吉春、岩名、横内、山崎が分校となる。
- 1886年(明治19年) - 茂木尋常小学校、茂木高等小学校の二段階と改める。
- 1899年(明治32年) - 茂木尋常小学校、茂木高等小学校、上花輪尋常小学校、中野台尋常小学校が合併し、野田高等小学校となる。
- 1908年(明治41年) - 尋常・高等を合併して、校名を野田尋常高等小学校と改称。
- 1911年(明治44年) - 茂木林司デザインの 校章を設定。
- 1914年(大正3年) - 教室にストーブを設置。
- 1923年(大正12年) - 野田醤油からピアノの寄贈。
- 1925年(大正14年) - 山中直治が野田尋常高等小学校の教員となる
- 1928年(昭和3年) - 松山校長の当時、現在のRC舎・三年館が竣工。
- 1930年(昭和5年) - 作詞作曲堀内敬三による校歌制定。
- 1932年(昭和7年) - 現在のRC増築校舎・七年館が竣工。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、野田国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革(新学制)により、校名を野田町立野田小学校と改称。PTAが発足。
- 1950年(昭和25年)5月3日 - 野田町の市制施行により、校名を野田市立中央小学校と改称。
- 1953年(昭和28年) - プール竣工。
- 1955年(昭和30年) - 松山記念碑の除幕式。
- 1957年(昭和32年) - 宮崎小学校が分離、開校する。
- 1965年(昭和40年) - RC三階建新校舎と管理棟が竣工した。
- 1966年(昭和41年) - 体育館が竣工。
- 1969年(昭和44年) - 中野栄三郎揮毫の校歌碑の除幕式。
- 1972年(昭和47年) - 学校給食の実施を開始。
- 1973年(昭和48年) - 創立100年記念式典挙行。百年記念館建設。
- 1974年(昭和49年) - 清水台小学校が分離、開校する。
- 1977年(昭和52年) - 河合凱夫が中央小学校長となる。柳沢小学校が分離、開校する。
- 1983年(昭和58年) - 創立百十周年を記念し、七年館三階に教育史料館が創設。
- 1988年(昭和63年) - 三年館・七年館の校舎窓枠・廊下床取替え工事。
- 1991年(平成3年) - 新館と七年館間の通路完成。
- 1992年(平成4年) - 創立百二十周年記念教育史料館開設。
- 1993年(平成5年) - 百年資料館に高梨文庫・第二教育史料館開設。
- 1994年(平成6年) - 旧校長室を復元し、第三教育史料館開設。
- 2002年(平成14年) - 創立130周年記念式典挙行。
- 2012年(平成24年) - 創立140周年記念式典挙行。
- 2013年(平成25年) - 新館耐震化工事完了。
- 2014年(平成26年) - 管理棟耐震化工事完了。
- 2016年(平成28年) - 教育史料館リニューアルオープン。
- 2017年(平成29年) - エアコン工事完了。
- 2023年(令和5年)2月15日 - 創立150周年記念式典挙行[3]。
この節の出典
[編集]- 野田市立中央小学校沿革(学校ホームページ内)(一部記載分除く)
校章・校歌
[編集]-
校章
-
堀内敬三
-
知徳体の石碑
校舎
[編集]- 三年館 1928年建築(昭和3年)国の登録有形文化財 経済産業省認定近代化産業遺産
- 七年館 1932年建築(昭和7年)国の登録有形文化財 経済産業省認定近代化産業遺産
- 新校舎 1965年(昭和40年)
- 体育館 1966年(昭和41年)
- 管理棟 1966年(昭和41年)
- 創立百年記念館 1972年(昭和47年)
変遷
[編集]1873年 愛光小學校 ┃ 1875年 野田小學校 ┃ 1876年 茂木小學校 ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃吉春、 岩名、 横内、 山崎 上花輪、1879年 ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━ ┃ ┃ ┃ ┃ 茂木尋常、 茂木高等 1886年 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 中野台尋常、 上花輪尋常 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━ ┃ ┃ ┃ 1899年 野田高等小學校 ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━ ┃ 1908年 野田尋常高等小學校 ┃ ┃ ┃ 1941年 野田國民學校 ┃ ┃ 1947年 野田町立野田小学校 ┃ 1950年 野田市立中央小学校 ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ ┃ ┃ 1957年 宮崎小学校 ┃ ┃ ┣━━━━━━━ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 1974年 清水台小学校 ┃ ┃ ┣━━━━ ┃ ┃ ┃ ┃ 1977年 柳沢小学校 ┃
著名な教職員
[編集]著名な出身者
[編集]高梨兵左衛門、茂木七左衛門、茂木七郎右衛門、茂木佐平治、茂木七郎治、茂木房五郎、茂木勇右衛門、茂木利平、中野長兵衛、山下平兵衛、山下富三郎、戸邊五右衛門、戸邊與三郎、飯田市郎左衛門、大塚金蔵、杉崎弥八、杉崎善太郎、杉崎邦三郎、谷ヶ崎治郎吉、門倉岡平、小張兼吉、駒崎藤次郎、米川金蔵、平井助次郎、中村善之助、中村富士三郎、荒木惣次郎、荒木半次郎、石塚喜兵衛、石塚浪右衛門、春風亭一之輔
周辺
[編集]- 野田第二学童保育所 - 同一建物内
- 千葉県大気汚染常時監視測定局 - 敷地が隣接
- 野田市立野田幼稚園 - 野田市道をはさんで、敷地が隣接。また、進級前幼稚園の一つ。
- 小張総合病院付属診療所
- 野田鎌田学園高等専修学校
- あずさ第一高等学校
- 野田市民会館
- 野田市民会館庭園(旧茂木佐平治氏庭園)
- 茂木佐公園(野田児童公園)
- 野田市郷土博物館
- 野田郵便局
- 茨城県道・千葉県道17号結城野田線(流山街道)
アクセス
[編集]- 茨城急行自動車「北越谷駅~野田市駅」(大沢四丁目経由・東大沢橋経由)線で、「小学校前」バス停より、
- 野田市コミュニティバス「まめバス」で、「仲町」バス停より、
- 愛宕駅方面行のりばから、徒歩約335m・約5~6分(野田郵便局付近の横断歩道経由)。
- 愛宕駅方面発のりばから、徒歩約290m・約5分。
- なお、「まめバス」は、「上町」バス停にも停車するが、茨城急行自動車「小学校前」バス停より若干距離が延びる。
脚注
[編集]- ^ 茂木各家の事業と繁栄『日本現代富豪名門の家憲』岩崎徂堂 編 (博学館編輯局, 1908)
- ^ 野田市立中央小学校沿革野田市立中央小学校教育史料館
- ^ 創立150周年記念行事②(記念式典) - 野田市立中央小学校
関連項目
[編集]出典
[編集]- 文化庁「野田市立中央小学校 3年館 7年館」 装飾が多用され、一階外壁は横目地を入れ、柱を三階までドイツ壁風仕上で立ち上げ、柱頭に亀甲紋。昇降口に花輪飾等を付す。鉄筋コンクリート造校舎として最古級であり貴重。
- 野田市 中央小学校が国の登録文化財に
- 「野田市立中央小学校記念教育史料館」
- “野田市立中央小学校-メニュー”. 野田市立中央小学校. 2020年4月1日閲覧。