若狭丸
若狭丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨客船 |
クラス | 若狭丸級貨客船 |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 | 日本郵船 |
運用者 |
日本郵船 大日本帝国陸軍 |
建造所 | D. W. Henderson社 |
母港 | 東京港/東京都 |
姉妹船 | 5隻 |
信号符字 | HLCW[1] |
IMO番号 | 1688(※船舶番号)[1] |
経歴 | |
進水 | 1897年3月8日[1] |
竣工 | 1897年4月[1] |
就航 | 1897年[1] |
その後 | 1934年2月22日解体[2]。 |
要目 | |
総トン数 | 6,266トン[3] |
載貨重量 | 7,940トン[3] |
垂線間長 | 138.1m[3] |
型幅 | 14.5m[3] |
型深さ | 10.2m[1] |
主機関 | 三連成レシプロ機関 2基[3] |
推進器 | 2軸 |
出力 | 4,000HP(合計)[3] |
最大速力 | 14.4ノット[3] |
旅客定員 |
一等:26名 二等:20名 三等:192名[3] |
船歴
[編集]日本郵船は欧州航路の創設に伴い13隻(予備船1隻を含む)の新造船を投入することとし[5][6]、その内訳は神奈川丸級貨客船と若狭丸級貨客船をそれぞれ6隻ずつと、予備船の「信濃丸」を新造することとした[5][7] [8]。
「若狭丸」は若狭丸級貨客船の1番船で[8]、スコットランド、グラスゴーのD. W. Henderson社で建造され[9]、1897年3月8日[1]に進水。同年4月[1]に竣工し、8月12日に横浜に到着した[10]。姉妹船は「因幡丸」、「丹波丸」、「備後丸」、「佐渡丸」、「阿波丸」。
日露戦争時、陸軍に徴傭される(1904年3月31日徴傭、1906年4月4日解傭)[11]。
1912年、東洋移民会社とのブラジル行移民輸送契約が成立[12]。「神奈川丸」に続いて「若狭丸」が3度移民輸送を行った[13]。
次いで日本郵船はブラジル移民組合と移民輸送契約を結び、「若狭丸」が第一船として1917年4月25日に神戸より出航してサントスへ向かった[14]。この時の経由地はシンガポール、デラゴアベイ、ケープタウンであった[14]。帰路は当初はパナマ運河経由であったが、1918年4月からは南アフリカ経由となった[15]。この南米東岸線は1931年に近海郵船、大阪商船との協約により休止となった[16]。「若狭丸」は16回の航海で移民1万3460人を運んだ[17]。1918年4月25日神戸発の航海では船内で流行性脳脊髄膜炎が蔓延し、香山六郎の『移民四十年史』によれば60名が、外務省通商局の『移民運送船之研究』に収録されている日系人医師高岡専太郎の回想文によれば航海中に53名が死亡した[18]。
1933年10月23日、若狭丸は第一次船舶改善助成施設を適用して建造される那古丸(N型貨物船)の解体見合い船に指定されて売却され[19][20]、翌年2月22日に解体された[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “なつかしい日本の汽船 若狭丸”. 長澤文雄. 2023年10月14日閲覧。
- ^ a b 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』98ページ
- ^ a b c d e f g h i 山田廸生「名船発掘139 若狭丸」
- ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』98ページ。山田廸生「名船発掘139 若狭丸」
- ^ a b “なつかしい日本の汽船 欧州航路 - 明治後期”. 長澤文雄. 2023年10月13日閲覧。
- ^ 『七十年史』61-62ページ
- ^ “なつかしい日本の汽船 神奈川丸型”. 長澤文雄. 2023年10月13日閲覧。
- ^ a b “なつかしい日本の汽船 若狭丸型”. 長澤文雄. 2023年10月13日閲覧。
- ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』98ページ
- ^ 『七十年史』62ページ
- ^ 『日本郵船株式會社五十年史』200ページ
- ^ 『七十年史』133ページ
- ^ 『我社各航路ノ沿革』331-333ページ、『七十年史』133ページ
- ^ a b 『七十年史』133-134ページ
- ^ 『七十年史』134ページ
- ^ 『七十年史』172-173ページ
- ^ 山田廸生『船にみる日本人移民史』73-74ページ
- ^ 山田廸生『船にみる日本人移民史』133-137ページ
- ^ #船舶改善助成施設実績調査表 pp.2-6
- ^ 『七十年史』679ページ
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(国立公文書館)
- Ref.A08072182800『船舶改善助成施設実績調査表(昭和九年四月十九日調)』。
- 貨物課(編)『我社各航路ノ沿革』日本郵船株式會社貨物課、1932年
- 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 日本郵船株式會社(編)『日本郵船株式會社五十年史』日本郵船、1935年
- 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
- 山田廸生『船にみる日本人移民史』中央公論社、1998年、ISBN 4-12-101441-3
- 山田廸生「名船発掘139 若狭丸 病気のためドイツ留学を打ち切った滝廉太郎が帰国時に乗船」