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若江王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若江王(わかえおう/わかえのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族。系譜は不明だが、三世王以上五世王未満であることが、以下の叙位から分かる[1]官位従五位下写一切経司次官

経歴

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天平宝字8年(764年)10月、逆徒藤原仲麻呂追討の賞として、山部王(のちの桓武天皇)・当麻王らとともに無位から従五位下に叙されている[2]。続く称徳朝天平神護2年(766年)11月にも、同じく無位から従五位下に昇叙する記事がある[3]

神護景雲元年(767年)8月、写一切経司次官に就任し、時に従五位下とある[4]。以後、神護景雲2年(768年)2月[5]、同年4月[6]、同年6月[7]、同年閏6月[8]、同年8月[9]、同年9月[10][11]、同3年(769年)6月[12]宝亀2年(771年)閏3月[13]と、奉写一切経司次官、従五位下としての署があり、少なくとも光仁朝の初めまではこの官職を勤めている。

桓武朝延暦2年(783年)2月にも無位から従五位下に叙されているが[14]、この若江王は、別人とする説があり[15][16]、あるいは何らかの理由で位階を剥奪されていた可能性や、記事の重複か誤記である場合も考えられる。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 「選叙令」35条によると、原則として親王の子に従四位下で、諸王の子には従五位下。皇親ではなくなる五世王は従五位下。その子は1階下になり、庶子はさらに1階下になるということになっていた
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十五、廃帝 淳仁天皇 天平宝字8年10月7日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第二十七、称徳天皇 天平神護2年11月5日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第二十八、称徳天皇 神護景雲元年8月29日条
  5. ^ 『大日本古文書』巻五 - 694頁
  6. ^ 『大日本古文書』巻五 - 695頁
  7. ^ 『大日本古文書』巻五 - 696頁
  8. ^ 『大日本古文書』巻五 - 697頁
  9. ^ 『大日本古文書』巻五 - 698頁
  10. ^ 『大日本古文書』巻五 - 699頁
  11. ^ 『大日本古文書』巻十七 - 86頁
  12. ^ 『大日本古文書』巻十七 - 120頁
  13. ^ 『大日本古文書』巻十八 - 321頁
  14. ^ 『続日本紀』巻第三十七、桓武天皇 今皇帝 延暦2年2月5日条
  15. ^ 岩波書店『続日本紀』4補注25 - 七三
  16. ^ 岩波書店『続日本紀』5 - p259注二一

参考文献

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