若桜村
表示
わかさそん 若桜村 | |
---|---|
廃止日 | 1909年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 若桜村、赤松村、菅野村 → 若桜町(初代) |
現在の自治体 | 若桜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,113人 (鳥取県統計書、1908年) |
隣接自治体 | 赤松村、菅野村、丹比村、小畑村 |
若桜村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡若桜村大字若桜宿 (若桜村赤松村組合役場) |
座標 | 北緯35度20分25秒 東経134度24分03秒 / 北緯35.34014度 東経134.40094度座標: 北緯35度20分25秒 東経134度24分03秒 / 北緯35.34014度 東経134.40094度 |
特記事項 | 座標は現在の若桜町役場位置 |
ウィキプロジェクト |
若桜村(わかさそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八東郡に属した。
概要
[編集]現在の若桜町大字若桜・高野・三倉に相当する。千代川水系八東川上流域に位置した。
平安時代には和名類聚抄に記載される因幡国八上郡十二郷の1つ若桜郷に属した。藩政時代には鳥取藩領の八東郡若桜郷(わかさのごう)に属する高野村・若桜宿・三倉村があった[1][2]。
若桜宿は元禄14年(1701年)に若桜村から改称したと言われ、若桜街道(播州往来)の宿場として栄えた。また当地を本拠地とする鳥取藩支藩の若桜新田藩が成立したものの独自性は極めて小さかった[3]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 連合戸長役場を若桜宿に設置。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、高野村・若桜宿・三倉村が合併して村制施行し、八東郡若桜村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。赤松村との組合役場を若桜宿に設置[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡若桜村となる。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 赤松村、菅野村と合併して若桜町(初代)が発足。同日若桜村廃止[5]。
行政
[編集]戸長
[編集]歴代組合村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
土肥實道 | 1889年(明治22年)12月27日 | 1893年(明治26年)6月21日 | |
松本省吾 | 1893年(明治26年)12月27日 | 1894年(明治27年)3月28日 | |
木島七次郎 | 1894年(明治27年)4月28日 | 1894年(明治27年)8月31日 | |
遠藤多平 | 1894年(明治27年)9月18日 | 1896年(明治29年)4月21日 | 前国英村長 |
吉村矩道 | 1896年(明治29年)4月22日 | 1900年(明治33年)3月14日 | |
松田龍造 | 1900年(明治33年)3月27日 | 1905年(明治38年)5月8日 | |
小倉礼吉 | 1906年(明治39年)11月22日 | 1909年(明治42年)3月31日 | 4月1日から7月26日まで町長事務取扱者 9月10日まで若桜町長 |
参考文献 - [1] |
交通
[編集]- 若桜街道:現在は旧街道沿いに国道29号が整備
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「若桜郷(近世)」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「若桜村(近世)」
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「町村廃置並村役場位置」『官報』1909年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)