若林憲一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県甲府市 |
生年月日 | 1953年5月3日(71歳) |
身長 体重 |
177 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 内野手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト6位 |
初出場 | 1977年4月2日 |
最終出場 | 1979年10月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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若林 憲一(わかばやし けんいち、1953年5月3日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
2018年から読売ジャイアンツに所属し、2024年から北海道日本ハムファイターズに所属する若林晃弘は息子[1]。
来歴・人物
[編集]山梨・甲府商高から1971年のドラフト6位で大洋ホエールズに入団。
当初は内野手だったが、俊足を評価され1974年から外野手へ転向。6年目の1977年に1軍デビューし、5月24日の阪神タイガース戦でプロ初本塁打を放ち、主に代走守備要員として一軍に定着した[2]。現役最終年となる1981年には二軍兼任コーチも務めている[3]。
引退後は東京都杉並区に野球教室を開き、小中学生への指導を行っている[3]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1977 | 大洋 | 66 | 37 | 28 | 9 | 6 | 1 | 1 | 1 | 12 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 7 | 1 | 0 | 9 | 0 | .214 | .371 | .429 | .800 |
1978 | 42 | 19 | 17 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | .235 | .316 | .235 | .551 | |
1979 | 55 | 8 | 6 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .143 | .000 | .143 | |
通算:3年 | 163 | 64 | 51 | 22 | 10 | 1 | 1 | 1 | 16 | 5 | 6 | 0 | 3 | 0 | 10 | 1 | 0 | 14 | 1 | .196 | .328 | .314 | .642 |
記録
[編集]- 初出場:1977年4月2日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、8回裏に中堅手として出場
- 初安打・初打点:1977年5月4日、対読売ジャイアンツ5回戦(後楽園球場)、8回表に藤城和明から適時三塁打
- 初先発出場:1977年5月24日、対阪神タイガース9回戦(川崎球場)、8番・左翼手として先発出場
- 初本塁打:同上、3回裏に池内豊からソロ
背番号
[編集]- 65 (1972年 - 1980年)
- 54 (1981年)
関連情報
[編集]書籍監修
[編集]- 野球バッティング入門 めざせ!ホームラン王(成美堂出版:2002年5月) ISBN 978-4415020426
- 150キロのボールを打つ!(ナツメ社:2006年8月)佐伯勉、篠田秀美、川端理香と共監修 ISBN 978-4816341656
脚注
[編集]- ^ “巨人6位若林の父は元大洋野手「プロは厳しい世界」”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2017年11月7日) 2017年11月7日閲覧。
- ^ “【巨人】若林がプロ1号2ラン…元大洋の父・憲一さん観戦「本当にうまく打った」”. スポーツ報知 (2019年6月8日). 2021年3月26日閲覧。
- ^ a b “怖がらず捕る、そのための手ぶら/若林憲一氏に聞く”. 日刊スポーツ (2019年11月6日). 2021年3月26日閲覧。