苗羽村
表示
のうまそん 苗羽村 | |
---|---|
廃止日 | 1951年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 草壁町、安田村、苗羽村、坂手村、西村 → 内海町 |
現在の自治体 | 小豆島町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 香川県 |
郡 | 小豆郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,484人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
安田村、坂手村 (海を隔てて隣接) 草壁町、西村、津田町、小田村 |
村長 | 河西覺[1] |
苗羽村役場 | |
所在地 | 香川県小豆郡苗羽村大字苗羽甲1074番地の4[2] |
座標 | 北緯34度28分13秒 東経134度19分13秒 / 北緯34.470306度 東経134.320222度座標: 北緯34度28分13秒 東経134度19分13秒 / 北緯34.470306度 東経134.320222度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
[編集]- 1890年2月15日 - 町村制施行に伴い、小豆郡苗羽村・古江村・堀越村・田浦村が合併し、苗羽村となる。
- 1942年12月31日 - 柚の浜沖合で内海汽船所属の「錦丸」(42トン)が転覆。4人は柚の浜に泳ぎ着くなどして生還したが、死者・行方不明者72人(推定)[3]。
- 1951年4月1日 - 小豆郡草壁町、安田村、坂手村、西村と合併し内海町となり消滅。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、苗羽村の篤農家は「岩部亀士、曾根庄太郎」などがいた[4]。
- 企業
- 香川肥料 - 設立は1923年、代表者は高橋永蔵[5]。
- 内海醤油 - 創業は1902年、代表者は塩田亀吉[6][7]。
- 船山醤油 - 創業は1888年、代表者は照下兼吉[8][7]。
- 小豆島醤油 - 創業は1900年、代表者は大西繁蔵[9][10]。
- 丸金醤油 - 創業は1907年。代表者は木下忠次郎[11][7]。
- 工場など
- イリヤマエ醤油醸造場 - 創業は1868年、代表者は木下ヨセ[7]。
- 岡本醤油製造所 - 創業は1879年、代表者は岡本瀧三郎[7]。
- 三階菱醤油醸造所 - 創業は1889年、代表者は黒島岩吉[10]。
- 宮坂醤油醸造場 - 創業は1872年、代表者は木下仙治郎[10]。
- 塩忠醸造工場 - 創業は1819年、代表者は木下忠次郎[10]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 愛郷同志会 1951, p. 250.
- ^ 愛郷同志会 1951, p. 249.
- ^ 内海汽船の客船・錦丸が沈没(昭和18年1月1日 毎日新聞(大阪))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p42 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 大日本篤農家名鑑編纂所 1910, p. 90.
- ^ 商業興信所 1930, p. 下編509.
- ^ 商業興信所 1930, p. 下編512.
- ^ a b c d e 商工省 1935, p. 1066.
- ^ 商業興信所 1930, p. 下編514.
- ^ 商業興信所 1930, p. 下編519.
- ^ a b c d 商工省 1935, p. 1067.
- ^ 商業興信所 1930, p. 下編513.
- ^ 人事興信所 1931, p. キ6.
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所 編『大日本篤農家名鑑』 第1冊、大日本篤農家名鑑編纂所、東京市芝区、1910年5月12日。doi:10.11501/782783。 NCID BA65874002。OCLC 672541642。
- 商業興信所 編『日本全国諸会社役員録』 第38回、商業興信所、大阪市東区、1930年7月23日。doi:10.11501/1023122。 NCID BN12765882。OCLC 672558060。
- 人事興信所 編『人事興信録』 第9版、人事興信所、東京市麹町区・大阪市北区、1931年6月23日。doi:10.11501/2127126。 NCID BN10068276。OCLC 672482001。
- 商工省 編『全国工場通覧』 昭和10年9月版、日刊工業新聞社、大阪市北区・東京市京橋区、1935年9月25日。doi:10.11501/1212212。 NCID BN00329974。OCLC 10651318121。
- 愛郷同志会 編『香川年鑑』 昭和26年、愛郷同志会、香川郡雌雄島村女木島、1951年1月31日。 NCID BB10789342。