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芹川得一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芹川得一
せりかわ とくいち
生年月日 1857年
出生地 日本の旗 日本 陸奥国津軽郡弘前
(現・青森県弘前市
没年月日 1923年2月
出身校 東奥義塾卒業
前職 東奥義塾教員
現職 第五十九銀行頭取
(現・青森銀行
宗教 キリスト教

在任期間 1904年1月20日 - 1908年10月12日

当選回数 5回
在任期間 1891年 - ?

在任期間 1889年 - ?
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芹川 得一(せりかわ とくいち、1857年安政4年)[1][2] - 1923年大正12年)2月[1][注 1])は日本政治家青森県青森市長。

来歴

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陸奥国津軽郡弘前で津軽藩士芹川高正の家に生まれる[2]東奥義塾に入り、キリスト教に入信する[2]。卒業後は同塾の教師となった[1][2]1889年弘前市発足後の弘前市会議員選挙に出馬して当選する[1][2]。2年後の1891年府県制施行後の青森県会議員選挙に出馬して当選し、連続5期務める[1][2]。この間、県参事員も務めた[1][2]

1904年1月に青森市長に就任[1][2]。在任中に青森港の外国貿易特別輸出港の指定に尽力、それが実現した。また、1908年に青森を発着とする青函連絡船が就航した。さらに上水道整備に着手した[1][2]

市長は1908年まで務め、退任後は第五十九銀行頭取に就任した[1][2]1922年まで務め[1]、翌1923年に死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『青森県人名事典』364頁には「大正11年(1922年)」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本の歴代市長』第1巻、191頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『青森県人名事典』364頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。