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芳村孝次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芳村 孝次郎(よしむら こうじろう)は、長唄唄方名跡

初代

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明和3年(1766年) - 嘉永6年3月25日1853年5月2日))本名は奥山孝次郎。

僧侶の出身。2代目芳村伊三郎の門弟。1808年より森田座番付に名が確認できる。1813年立唄に昇進。

当時江戸で大流行した糸鬢奴を結っていたために「奴孝次」と喧伝された。後に芳村太賀と改名。

2代目

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(生年不詳(一説に1813年) - 明治3年2月27日1870年3月28日))本姓は桑野。

2代目富士田千蔵の門弟で富士田千吉の名で1844年の江戸中村座が初出座。翌年1845年に2代目富士田吉太郎、後に初代孝次郎の養子になり、1850年に2代目孝次郎を襲名し立唄に昇進。

目が大きかったために「目玉の孝次」という。

3代目

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文化14年10月25日1817年12月3日) - 明治28年(1895年3月29日)名は善四郎。

2代目孝次郎の門弟で2代目芳村孝十郎。後江戸市村座で立唄格。1871年に3代目孝次郎を襲名。

長唄の傍ら提灯屋を営んだ。そのため「提灯屋の孝次郎」という。

4代目

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天保4年(1833年) - 明治35年(1902年12月15日)本姓は相葉。

2代目孝次郎の門弟で孝松名で守田座が初出座、慶応に入り芳村三十郎、1871年に3代目孝十郎を襲名。後立唄。

死後1912年に4代目孝次郎を追贈された。

5代目

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後の4代目松永和楓

6代目

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後の9代目松永鉄五郎

7代目

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1933年7月8日 - )本名は大橋裕史。

京都の生まれ、祖母や父の3代目松永忠三郎に師事し4代目松永忠次郎で舞台に出る。1955年立命館大学卒業と同時に上京し4代目和風、7代目芳村伊十郎に師事、1963年に7代目孝次郎を襲名。