松永鉄五郎
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松永 鉄五郎(まつなが てつごろう)は、長唄の名跡。6代目まで唄方、それ以降三味線方。
初代
[編集](生年不詳 - 天保13年11月3日(1842年12月4日))
初代松永和楓の門弟。1826年に門弟に鉄五郎の名を譲り鉄翁を名乗る。
2代目
[編集]初代松永兼五郎が1826年に2代目鉄五郎を襲名。実子に後3代目を譲る。
3代目
[編集]後の5代目松永忠五郎。
4代目
[編集]3代目鉄五郎(後の5代目松永忠五郎)の娘婿。初名吉住平治郎。3代目鉄五郎には4代目兼五郎という実子がいたが、ある事情により家を出た為、3代目の娘のかめの婿養子となる。2代目芳村孝次郎の門下に入り芳村孝四郎となっていたが、1866年に4代目鉄五郎を継ぐも翌年死去。
5代目
[編集]後の2代目庄五郎。
6代目
[編集]後の3代目松永和楓。
7代目
[編集](生年不詳 - 明治26年(1893年)7月7日)本名は松永金太郎。
3代目鉄五郎(後の5代目松永忠五郎)の孫。2代目杵屋六郎次が1877年に7代目鉄五郎を襲名。
この人より唄方より三味線方となった。三味線の音締がよい事は天下無類、曲のハコビ、ノリは、ずば抜けて上手く名人であった。と稀音家浄観が絶賛している。三味線はどんな三味線でも何とも言えない良い音を出した。この人の糸の好みが変わっていて、二と三の糸には十三匁を掛け、一の糸には二十匁の糸を掛けた。(稀音家浄観談)
8代目
[編集](明治10年(1877年) - 明治42年(1909年)6月7日)
3代目和風の養子。鉄四郎が8代目鉄五郎を襲名。
9代目
[編集](大正4年(1915年)8月16日 - 昭和63年(1988年)5月31日)本名は吉田実。
4代目松永和風の養子。2代目稀音家浄観の門下。6代目芳村孝次郎から1943年に9代目鉄五郎を襲名。長男が8代目松永忠五郎。