コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

芮春浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芮 春浩(イェ・チュノ〈イェ・チュンホ〉、朝鮮語: 예춘호1927年2月7日 - 2020年7月22日)は、韓国政治家民主化運動家。第6・7・10代国会議員。本貫義興芮氏牧邨(モクチョン、목촌[1]

経歴

[編集]

釜山市影島出身。東亜大学校経済学科卒、ソウル大学校大学院経済科修了(経済学修士)[1]

民主共和党の共同発起人として政界入りした[2]1963年第6代総選挙1967年第7代総選挙で民主共和党から出馬し連続当選し、民主共和党事務総長・党務委員、アジア議員連盟韓国代表、国会商工委員長を歴任したが、1969年3選改憲に反対する活動及び4・8抗命事件で民主共和党から除名された[3]1978年第10代総選挙無所属から出馬し再び当選し、その後新民党に入党したが、1980年ソウルの春の時、軍部による金大中内乱陰謀事件の首謀者として議員職を剥奪され、拷問捜査の末に懲役12年を宣告され、2年間服役した[2][4]1984年民主化推進協議会の結成を主導して副議長を務めた。1987年の金大中と金泳三の分裂事態を受け、趙舜衡朝鮮語版諸廷坵柳寅泰朝鮮語版らと共にハンギョレ民主党を設立し、常任代表を務めたが、同党の1988年第13代総選挙での敗北により政界を離れた[2]。他に社団法人影島育英会理事長、韓国政治犯同志会長、社団法人韓国社会科学研究所理事長を務めた[1]

2020年に老衰で死去、94歳没[2]

親族

[編集]

漢陽大学校教養学部教授、社会福祉共同募金会朝鮮語版会長の芮鍾碩朝鮮語版は息子[2][4]。また、息子の1人は元労働部長官の南載熙の次女と結婚した[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年8月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e ‘박정희 동지에서 민주화 투사로’ 예춘호 전 의원 별세” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2020年7月22日). 2022年8月2日閲覧。
  3. ^ 共和(공화) 抗命(항명)5議員(의원) 제명”. 동아일보 (1969年4月15日). 2022年8月2日閲覧。
  4. ^ a b “정당정치 통해 경제도 발전하는 거지요”” (朝鮮語). h21.hani.co.kr. 2022年8月2日閲覧。
  5. ^ 남재희 (2015年5月11日). “[남재희 기고] 기자로 비밀당원 된 정태영 씨” (朝鮮語). www.pressian.com. 2023年9月8日閲覧。