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芦田寿美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あしだ すみ

芦田 寿美
1948年撮影
生誕 長谷 寿美
1895年1月1日
日本の旗 日本
死没 (1981-12-15) 1981年12月15日(86歳没)
日本の旗 日本 東京都渋谷区
死因 急性心不全
配偶者 芦田均(夫)
子供 下河辺美世(長女)
遠藤ルリ(次女)
芦田治太郎(長男)
芦田富(次男)
長谷見次(父)
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芦田 寿美(あしだ すみ[1]1895年明治28年〉1月1日[2] - 1981年昭和56年〉12月15日[3])は、日本の第47内閣総理大臣である芦田均の妻(内閣総理大臣夫人)。

経歴

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1895年明治28年)、輸入織物商だった長谷見次の次女として生まれる[4]。後の夫となる芦田均が学生だった頃に見初め、均がロシアから帰任した1918年大正7年)に結婚した。均との間には2男2女を儲けた[4]

1948年昭和23年)3月10日から同年10月15日までの約7か月間は、芦田均が内閣総理大臣に就任し、寿美も首相夫人となった。7

1981年(昭和56年)12月15日、急性心不全のため東京都渋谷区代々木の自宅で死去[3]

脚注

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  1. ^ 壽美、スミ子とも表記される。
  2. ^ 『人事興信録 第19版 上』(人事興信所、1957年)あ67頁
  3. ^ a b 朝日新聞 1981年12月16日夕刊 11面
  4. ^ a b 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第三章 芦田均」の項
先代
片山菊江
内閣総理大臣夫人
1948年3月10日 - 1948年10月15日
次代
吉田喜代