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芝千秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芝 千秋(しば せんしゅう、1887年明治20年)3月14日 - 1956年昭和31年)2月19日)は京都で活動した日本画家。浅井忠に洋画を学んだ。

略歴

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京都市に生まれる。両親を早くに失った千秋は、生計を得るために梅村景山に師事して日本画を学び、京友禅の老舗「千總」で図案の仕事を手掛ける[1][2]

1902年(明治35年)洋画を学ぶ旧知の加藤源之助とともに、京都へ移住してきた浅井忠を紹介状もなく訪ね、入門を乞う[3][4]。浅井の許可を得た二人は、共通の友人で日本画を学ぶ小川千甕を加えて通い始める[3]。翌1903年(明治36年)浅井の転居に伴い聖護院洋画研究所(1906年3月より関西美術院)が開設されると、洋画家のみならず、洋画研究の意欲を持つ日本画家が千秋の他にも相次いで入所した[3]。1906年(明治39年)12月、同所で学ぶ日本画家の千種掃雲杉浦香峰久保井翠桐徳永鶴泉らと「丙午画会」の結成、日本画の革新運動に参加する[4]。こうして千秋の絵画研究が日本画、洋画、図案が一体となって進行していく過程で、独特の「装飾画」と呼べる絵画様式が誕生していった[5]

1919年(昭和8年)第1回帝展に《雨に暮るる日》が入選[4][6]1948年(昭和23年)まで京都市美術展に発表を続けた[6]。また、千總の意匠図案も指導的立場を務めた[6]1956年(昭和31年)79歳で死去[7]

脚注

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  1. ^ 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、9頁。 
  2. ^ 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、95頁。
  3. ^ a b c 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、8頁。
  4. ^ a b c 『デカダンスから光明へ 異端画家・秦テルヲの軌跡』京都国立近代美術館、2013年、200頁。
  5. ^ 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、10頁。
  6. ^ a b c 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、98頁。
  7. ^ 『浅井忠に洋画を学んだ日本画家 芝千秋 展』佐倉市立美術館、2008年、101頁。

外部リンク

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