舟入橋
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2013年5月) |
舟入橋 | |
---|---|
下流より望む | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 広島県広島市 |
交差物件 | 太田川水系旧太田川 |
座標 |
左岸:中区住吉町、右岸:中区吉島町 北緯34度22分47.89秒 東経132度26分42.51秒 / 北緯34.3799694度 東経132.4451417度座標: 北緯34度22分47.89秒 東経132度26分42.51秒 / 北緯34.3799694度 東経132.4451417度 |
構造諸元 | |
形式 | 7径間鋼箱桁橋 |
材料 | 上部工:鋼橋;下部工:RC構造;基礎工:? |
幅 | 18m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
舟入橋(ふないりばし)は、広島県広島市の旧太田川(本川)に架かる道路橋。
概要
[編集]広島市道吉島観音線筋の橋として1970年(昭和45年)3月竣工。航路確保のため一部桁高が低くなっている。
上流に旧国道2号筋の住吉橋、下流に広島市道霞庚午線の吉島橋がある。
東詰南側に広島刑務所、さらに東へ道沿いに進み南大橋を渡ると広島赤十字・原爆病院へたどり着く。西には広島市立舟入高等学校があり、道沿いに進むと広島市道横川江波線(舟入通り)と広島電鉄江波線との交点となり、最寄の駅は舟入川口町停留場となる。さらに西に行くと南観音橋にたどり着く。
竣工前は上流の住吉橋まで番船が入り、瀬戸内海の離島へ物資を輸送していた。舟入地区には木材会社が集まり、水運を利用して木材が輸送された[1]。一方で舟入・江波と吉島を結ぶ橋はなく、住吉橋まで迂回する必要があったことから、地元住民が橋の建設運動を行い[2]、1966年9月から3億4500万円を投じて建設が進められた。橋は1970年3月に竣工し、関係者1000人を集めて開通式が行われた[3]。橋竣工後も1975年ごろまでは番船の行き来が続いた[4]。
-
橋名板
脚注
[編集]- ^ 「ひろしま橋物語 第7部⑤ 舟入橋 木材輸送 次第に陸運へ」『中国新聞』2005年(平成17年)12月16日付夕刊1面。
- ^ 四国五郎『広島百橋』春陽社出版〈広島県民文庫 広島探検叢書 No.1〉、1975年、91ページ。
- ^ 「舟入大橋できる 広島・二号線の交通量緩和に役立つ」『中国新聞』昭和45年3月30日付朝刊8面。
- ^ 「新 広島市 昭和の残像6 番船 島々と町の生活結ぶ」『中国新聞』2001年(平成13年)8月13日付夕刊1面。