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舟入橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
舟入橋
下流より望む
基本情報
日本の旗 日本
所在地 広島県広島市
交差物件 太田川水系旧太田川
座標 左岸:中区住吉町、右岸:中区吉島町
北緯34度22分47.89秒 東経132度26分42.51秒 / 北緯34.3799694度 東経132.4451417度 / 34.3799694; 132.4451417座標: 北緯34度22分47.89秒 東経132度26分42.51秒 / 北緯34.3799694度 東経132.4451417度 / 34.3799694; 132.4451417
構造諸元
形式 7径間鋼箱桁橋
材料 上部工:鋼橋;下部工:RC構造;基礎工:?
18m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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舟入橋(ふないりばし)は、広島県広島市旧太田川(本川)に架かる道路橋

概要

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広島市道吉島観音線筋の橋として1970年(昭和45年)3月竣工。航路確保のため一部桁高が低くなっている。

上流に旧国道2号筋の住吉橋、下流に広島市道霞庚午線吉島橋がある。

東詰南側に広島刑務所、さらに東へ道沿いに進み南大橋を渡ると広島赤十字・原爆病院へたどり着く。西には広島市立舟入高等学校があり、道沿いに進むと広島市道横川江波線(舟入通り)と広島電鉄江波線との交点となり、最寄の駅は舟入川口町停留場となる。さらに西に行くと南観音橋にたどり着く。

竣工前は上流の住吉橋まで番船が入り、瀬戸内海の離島へ物資を輸送していた。舟入地区には木材会社が集まり、水運を利用して木材が輸送された[1]。一方で舟入・江波と吉島を結ぶ橋はなく、住吉橋まで迂回する必要があったことから、地元住民が橋の建設運動を行い[2]、1966年9月から3億4500万円を投じて建設が進められた。橋は1970年3月に竣工し、関係者1000人を集めて開通式が行われた[3]。橋竣工後も1975年ごろまでは番船の行き来が続いた[4]

脚注

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  1. ^ 「ひろしま橋物語 第7部⑤ 舟入橋 木材輸送 次第に陸運へ」『中国新聞』2005年(平成17年)12月16日付夕刊1面。
  2. ^ 四国五郎『広島百橋』春陽社出版〈広島県民文庫 広島探検叢書 No.1〉、1975年、91ページ。
  3. ^ 「舟入大橋できる 広島・二号線の交通量緩和に役立つ」『中国新聞』昭和45年3月30日付朝刊8面。
  4. ^ 「新 広島市 昭和の残像6 番船 島々と町の生活結ぶ」『中国新聞』2001年(平成13年)8月13日付夕刊1面。

関連項目

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