自由の代償
自由の代償 | |
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Faustrecht der Freiheit | |
監督 | ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー |
脚本 | ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー |
製作 | クリスティアン・ホホフ |
音楽 | ペール・ラーベン |
撮影 | ミヒャエル・バルハウス |
編集 | テア・アイミス |
製作会社 |
タンゴ・フィルム[注 1] シティ・フィルム |
配給 | Filmverlag der Autoren[2] |
公開 | 1975年6月6日[注 2] |
上映時間 | 123分 |
製作国 | 西ドイツ |
言語 | ドイツ語 |
製作費 | DEM 450,000[2] |
『自由の代償』(じゆうのだいしょう、Faustrecht der Freiheit)は、1975年公開のニュー・ジャーマン・シネマを代表するライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの監督・脚本・主演で制作されたドイツの映画である。英語圏では『Fox and His Friends(フォックスとその友人たち)』のタイトルで知られている。日本では、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選2024にて邦題が『自由の暴力』に変更された。
貧富や階級の差から生まれた悲劇を描いたゲイの男たちの恋物語で、ファスビンダー自らが主役を演じている。
あらすじ
[編集]見世物小屋で働く労働者階級で同性愛者のフランツは、恋人でもある小屋の主人クラウスが逮捕されたため、失業する。金持ちのゲイの骨董商マックスと知り合うが、小銭すら恵んでくれない。花屋を騙してせしめた小銭で宝くじを買い、大金を当てる。マックスのゲイ・パーティで工場経営者の御曹司オイゲンと知り合う。オイゲンは粗野なフランツを無視していたが、大金を持っていることを知ると、元恋人を振ってフランツと同衾する。オイゲンに夢中になったフランツは彼のために新車を買い、新しいアパートを買い、オイゲンの好きな高級家具をマックスの店から買い、スーツをオイゲンの元恋人の店から買い、モロッコ旅行をプレゼントし、オイゲンの父親の会社に投資する。さらにその会社が傾くと、アパートを担保に金を借りるようアパートまでをオイゲンに与えるが、オイゲンは、マナーを知らず、文化的な教養のないフランツにうんざりで、アパートからフランツを締め出し、フランツが病気を告げてもまったく関心を示さない。ある日、地下鉄駅で死んでいるフランツが見つかる。横には睡眠薬の瓶が転がっている。ちょうどクラウスとマックスが通りかかって見つけるが、関わりを嫌ってそそくさと立ち去っていく。
スタッフ
[編集]- 監督: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
- 脚本: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
- 撮影: ミヒャエル・バルハウス
- 編集: テア・アイミス
- 音楽: ペール・ラーベン
- 美術: クルト・ラープ
キャスト
[編集]- フランツ・ビーバーコプ[注 3]: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
- オイゲン: ペーター・シャテル
- マックス: カールハインツ・ベーム
- 歌手: イングリット・カーフェン
製作
[編集]本作の撮影は1974年の4月と6月[注 4]にドイツのミュンヘンおよびモロッコのマラケシュで21日間でおこなわれた[2]。本作の製作年は「1974年/1975年」と併記されたり[5]、「1974年」と表記されることもある[6]。
ファスビンダーがゲイを直接的に描いた最初の映画であり、ヴォルフガング・リマーは「ファスビンダーは〔1970年撮影の〕『聖なるパン助に注意』[注 5]では暗示にとどめておいた自らの同性愛志向を、1974年の映画『自由の代償』ではじめて公然と宣言した」と解説している[7]。映画には「アルミン[注 6]をはじめとして他のすべての人たちに」と献辞がある[2]。
評価
[編集]「恋愛劇の背後で資本家の策略による労働者の搾取が展開し、資本主義社会の冷酷な心理メカニズムを描いている」と評される[6]。アメリカの『ヴィレッジ・ヴォイス』紙が発表した映画批評家50名以上による投票結果「20世紀のベスト映画100」(2000年1月4日)で、第82位にランクインしている[注 7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Tango-Film. ファスビンダー監督がイングリット・カーフェン、ダニエル・シュミットらと1974年に設立した映画制作会社[1]。
- ^ ヴォルフガング・リマーは公開日を「1975年5月30日」としている[2]。
- ^ Franz Bieberkopf。この名前は、本作から五年後にファスビンダーがテレビシリーズ全14話として映像化することになるアルフレート・デーブリーンの小説『ベルリン・アレクサンダー広場』(1929年刊)の主人公の名前である。本作以外でもファスビンダー作品には「フランツ」と名付けられた登場人物が散見される[3]。
- ^ 明石政紀は撮影時期を1974年4月と7月の21日間としている[4]。
- ^ Warnung vor einer heiligen Nutte, 1971.
- ^ おそらくアルミン・マイアーを指す。1974年から恋愛関係にあった[8]。
- ^ ファスビンダー作品では他に『ベルリン・アレクサンダー広場』が第63位に登場している[9]。
出典
[編集]- ^ “再考―スイス映画の作家たち”. アテネ・フランセ文化センター (2021年). 2023年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e W・リマー 1983, p. 194.
- ^ ファスビンダー 1998, p. 114.
- ^ ファスビンダー 1998, p. 195.
- ^ “自由の代償”. アテネ・フランセ文化センター. 2023年2月20日閲覧。
- ^ a b 武蔵野美術大学イメージライブラリー.
- ^ W・リマー 1983, p. 69.
- ^ ファスビンダー 1998, p. 224.
- ^ Village Voice Critics' Poll (2000年1月4日). “100 Best Films of the 20th Century - Village Voice”. Filmsite. 2023年2月28日閲覧。
参考文献
[編集]- “自由の代償”. 武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー所蔵 映像作品データベース. 武蔵野美術大学イメージライブラリー. 2023年2月20日閲覧。
- ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 著、明石政紀 訳『映画は頭を解放する』勁草書房、1998年(原著1984年)。ISBN 4-326-85155-4。
- ヴォルフガング・リマー 著、丸山匠 訳『ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー : ニュー・ジャーマン・シネマの旗手』欧日協会(発売 新紀元社)、1983年(原著1981年)。
関連項目
[編集]- ベルリン・アレクサンダー広場 - 本作の主人公の名前の出典となった1929年の小説。
- アルミン・マイアー - 本作の献辞に名前がある。