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脇坂貞夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
脇坂貞夫
個人情報
国籍日本
生誕1916年
死去1945年4月
スポーツ
競技フィールドホッケー

脇坂 貞夫(わきざか さだお、1916年 - 1945年4月19日[1])は、日本フィールドホッケー選手。

経歴

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滋賀県出身[1][2]東京商科大学(現在の一橋大学)在学中[2]1936年ベルリンオリンピックホッケー競技に出場した[3]。ポジションは右ウイング[2]

1939年に大学を卒業すると、満洲中央銀行に入行[2]。まもなく日本帝国陸軍に召集され、第16師団(京都)に配属[2]

1944年4月、フィリピンサマール島ネニタ (ceb:Nenita (lungsod sa Pilipinas)付近で死去[1](当時、歩兵第9連隊所属の陸軍大尉[1])。脇坂は病死であったとみられ、戦後に各種組織で行われた「戦没オリンピアン」の調査では、「戦没」の定義(あるいは「戦死」「戦病死」「病死」の定義)をめぐって、脇坂の名が挙げられている場合と挙げられていない場合がある[4]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d 曾根 2020, 9-10頁.
  2. ^ a b c d e “戦後75年「戦没オリンピアン」に思いはせ 競技に打ち込んだ生涯、20~30代で絶たれ”. 京都新聞. (2020年8月14日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/328266 2021年8月15日閲覧。 
  3. ^ Sadao Wakizaka Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月12日閲覧。
  4. ^ 曾根 2020, 3頁.

参考文献

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