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能義神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
能義神社

能義神社 本殿
地図
所在地 島根県安来市能義町366
位置 北緯35度23分58秒 東経133度13分05秒 / 北緯35.399444度 東経133.218056度 / 35.399444; 133.218056座標: 北緯35度23分58秒 東経133度13分05秒 / 北緯35.399444度 東経133.218056度 / 35.399444; 133.218056
主祭神 天穂日命
社格 式内社
県社
本殿の様式 大社造
例祭 10月19日
主な神事 神幸祭
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能義神社(のきじんじゃ)は、島根県安来市能義町に鎮座する神社である。旧社格は県社。

祭神

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現在の祭神は以下の通りである。

出雲国風土記意宇郡野城駅条に野城大神が登場する。元来の祭神はこの野城大神であったと考えられるが、野城大神と天穂日命は同一神であるという説がある[1]

歴史

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『出雲国風土記』意宇郡条の在神祇官社の「野城社」、『延喜式神名帳』出雲国意宇郡の「野城神社」に比定されるが、同じく『延喜式神名帳』出雲国能義郡の「天穂日命神社」に比定する説もあり、吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)との間に正徳年間と明治初期の2回にわたり論社争いがあった[2]

日本三代実録』によれば、能義神に与えられた神階貞観9年(867年)に従五位上、貞観13年(871年)に正五位下とされている。しかしこれが能義神社に与えられたものか、天穂日命神社に与えられたものかは不明である[1]

慶長16年(1611年)の火災で社殿を消失したときに古記録は失われてしまった。近世には能義郡の総社として崇敬を集めた。明治4年に郷社に列格し、その後明治6年(1873年)に県社に昇格した。

古代の史跡

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境内地には弥生時代古墳時代にかけての住居跡と見られる能義神社遺跡があり、また近隣には能義神社奥院古墳をはじめとして円墳が数基ある。

祭事

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脚注

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  1. ^ a b 『日本の神々(7)』40頁
  2. ^ 『日本の神々(7)』42頁

参考文献

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