能義神社
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能義神社 | |
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能義神社 本殿 | |
所在地 | 島根県安来市能義町366 |
位置 | 北緯35度23分58秒 東経133度13分05秒 / 北緯35.399444度 東経133.218056度座標: 北緯35度23分58秒 東経133度13分05秒 / 北緯35.399444度 東経133.218056度 |
主祭神 | 天穂日命 |
社格等 |
式内社 県社 |
本殿の様式 | 大社造 |
例祭 | 10月19日 |
主な神事 | 神幸祭 |
能義神社(のきじんじゃ)は、島根県安来市能義町に鎮座する神社である。旧社格は県社。
祭神
[編集]現在の祭神は以下の通りである。
『出雲国風土記』意宇郡野城駅条に野城大神が登場する。元来の祭神はこの野城大神であったと考えられるが、野城大神と天穂日命は同一神であるという説がある[1]。
歴史
[編集]『出雲国風土記』意宇郡条の在神祇官社の「野城社」、『延喜式神名帳』出雲国意宇郡の「野城神社」に比定されるが、同じく『延喜式神名帳』出雲国能義郡の「天穂日命神社」に比定する説もあり、吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)との間に正徳年間と明治初期の2回にわたり論社争いがあった[2]。
『日本三代実録』によれば、能義神に与えられた神階は貞観9年(867年)に従五位上、貞観13年(871年)に正五位下とされている。しかしこれが能義神社に与えられたものか、天穂日命神社に与えられたものかは不明である[1]。
慶長16年(1611年)の火災で社殿を消失したときに古記録は失われてしまった。近世には能義郡の総社として崇敬を集めた。明治4年に郷社に列格し、その後明治6年(1873年)に県社に昇格した。
古代の史跡
[編集]境内地には弥生時代〜古墳時代にかけての住居跡と見られる能義神社遺跡があり、また近隣には能義神社奥院古墳をはじめとして円墳が数基ある。
祭事
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 瀧音能之『古代の出雲事典』 2001年 新人物往来社 ISBN 4-404-02941-1
- 谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地 7 山陰』(新装復刊) 2000年 白水社 ISBN 978-4-560-02507-9