羽田貞義
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羽田 貞義(はた さだよし、1864年8月10日(元治元年7月9日)[1] - 1933年(昭和8年)3月11日[2])は、日本の教育者、実業家。号は鷲峰。第80代内閣総理大臣を務めた羽田孜の祖父。
来歴
[編集]信濃国小県郡桜井村(現長野県東御市)の寺島権左衛門の次男として生まれ、1880年に同郡和田村(現長和町)の羽田三郎の養子となる[1]。1883年長野県師範学校を卒業、1890年東京高等師範学校博物科を卒業後、長野師範教諭、1898年新潟師範学校教頭を務める。
1903年に群馬師範学校校長に就任[3][4]、1912年より熊本師範学校校長[5][6]、千葉師範学校校長[7]、1919年より福島師範学校校長を歴任した。
報徳思想主義者で[8]、町村自治行政と社会教育に尽力[9]、殊に師範学校校長を務めた群馬県[10][11]、熊本県における町村を巡回して生活の向上として①経済的生活法②衛生的生活法③秩序的生活法④修養的生活法⑤楽天的生活法を掲げた教育活動は常に文部省から表彰され、篤人英俊恭謙の人物で教育家の模範とされた[12][13]。
1924年に定年後帰郷し、1927年にはバス会社「和田嶺自動車」を設立して社長となり[14]、山間部の地方交通として貢献した。
栄典
[編集]- 1902年(明治35年)5月10日 - 従七位[15]
- 1903年(明治36年)6月10日 - 正七位[16]
- 1905年(明治38年)10月20日 - 従六位[17]
- 1908年(明治41年)6月25日 - 勲六等瑞宝章[18]
- 1910年(明治43年)11月11日 - 正六位[19]
- 1914年(大正3年)6月29日 - 勲五等瑞宝章[20]
- 1915年(大正4年)12月20日 - 従五位[21]
- 1921年(大正10年)2月19日 - 勲四等瑞宝章[22]
- 1921年(大正10年)3月10日 - 正五位[23]
- 1924年(大正13年)4月15日 - 従四位[24]
家族
[編集]主著
[編集]- 羽田貞義 編 ほか『小学珠算指南』第1巻,青雲堂,明20.8.国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 著『生物学講義』,小山喜作,明26.7.国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義, 小沢錦十郎 著『母のための教育学』,目黒書店,明39. 国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 著『実践倫理学講義』,泰東同文局,明41.4. 国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 著『国民実践倫理講義』,六盟館,大正3(1914). 国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 著『町村自治と報徳教 : 通俗教育資料講話』,明誠館,大正4.国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 著『社会心相・人生之循環』,稲本震作,大正4.国立国会図書館デジタルコレクション
- 羽田貞義 編『学校を中心とせる民育の実況』,金港堂書籍,大正9.国立国会図書館デジタルコレクション
脚注
[編集]- ^ a b 『和田村村誌』和田村教育委員会、1977年、p.857。
- ^ 『信濃教育』第558号(信濃教育会、1933年)p.133
- ^ 大成会編輯部 編『地方改良事績大鑑』p43,大成会,明43.6.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『地方経営小鑑』p185,内務省,明43.10.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 後藤蘇風 著『大正の熊本』p36,盛林堂,大正4.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 熊本県教育会 編『熊本県教育史』下巻p312,熊本県教育会,昭和6.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 千葉県師範学校 編『千葉県師範学校沿革史 : 創立六十周年記念』p337,千葉県師範学校,昭和9.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 勤労教育研究会 編『集団勤労教本』序文,六盟館,昭14..国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 中川秋坪 著『教育家の優良村巡り』p151,白水社,大正6.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 大成会編輯部 編『地方改良事績大鑑』p43,大成会,明43.6.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 大成会編輯部 編『地方改良事績大鑑』p53,大成会,明43.6.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 河辺光次郎 著『小学教師の感化』p257,同文館,明43.12.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ ルーブル社出版部 編『大日本人物名鑑』〔巻4の1〕p116,ルーブル社出版部,大正10-11,大正4.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 信濃経済調査会 編『長野県事業年鑑』p109,昭和3年.国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第5653号、1902年5月12日。
- ^ 『官報』第5981号、1903年6月11日。
- ^ 『官報』第6695号、1905年10月21日。
- ^ 『官報』第7499号、1908年6月26日。
- ^ 『官報』第8219号、1910年11月12日。
- ^ 『官報』第574号、1914年6月30日。
- ^ 『官報』第1017号、1915年12月21日。
- ^ 『官報』第2564号、1921年2月21日。
- ^ 『官報』第2580号、1921年3月11日。
- ^ 『官報』第3509号、1924年5月7日。
参考文献
[編集]- 『信濃人物略誌 : 附・在京県人一覧表』p37,信濃青年会,大正8.国立国会図書館デジタルコレクション
- ルーブル社出版部 編『大日本人物名鑑』〔巻4の1〕p116,ルーブル社出版部,大正10-11,大正4.国立国会図書館デジタルコレクション
- 熊本大学教育学部 編『熊本師範学校史』,熊本大学教育学部,1952
- 『羽田貞義先生追悼録』鷲峯会 編
- 『羽田貞義の研究』熊本大学教育学部紀要
公職 | ||
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先代 小泉秀之助 |
福島県師範学校長 1919年 - 1924年 |
次代 井上桂 |
先代 土井亀之進 |
千葉県師範学校長 1919年 |
次代 豊田潔臣 |
先代 保田銓次郎 熊本県師範学校長 |
熊本県第一師範学校長 1914年 - 1919年 熊本県師範学校長 1912年 - 1914年 |
次代 土井亀之進 |
先代 堀井覚太郎 群馬県師範学校長 |
群馬県第一師範学校長 1912年 群馬県師範学校長 1903年 - 1912年 |
次代 保田銓次郎 |