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羽仁元胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
羽仁元胤
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 不詳
死没 慶長18年6月16日1613年8月2日
別名 通称:弥四郎、右衛門尉
官位 美濃
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 清和源氏満政流羽仁氏
父母 父:羽仁就智
兄弟 元胤熊野太郎兵衛、女(木原治部兵衛室)、善右衛門井上元数六郎右衛門
児玉備後守の娘
元直
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羽仁 元胤(はに もとたね)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将毛利氏の家臣で、長州藩士。

生涯

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生年は不明だが、毛利氏家臣である羽仁就智の嫡男として生まれる。

毛利輝元秀就の2代に仕え、慶長2年(1597年2月11日に輝元から「美濃守」の受領名を与えられる。

慶長17年(1612年7月27日に父・就智が死去すると後を継いだが、元胤も慶長18年(1613年6月16日に死去。子の元直が後を継いだ。

参考文献

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