羅建文
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羅 建文 | |
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プロフィール | |
出生: | 1943年5月18日 |
死去: | 2017年12月20日 (74歳没) |
出身地: | 福建省 |
職業: | 囲碁棋士 |
死没地: | 北京市 |
各種表記 | |
繁体字: | 羅建文 |
簡体字: | 罗建文 |
拼音: | Luó Jiànwén |
ラテン字: | Luo Jianwen |
和名表記: | ら けんぶん |
発音転記: | ルオ・ジィエンウェン |
羅 建文(ら けんぶん、罗建文、ルオ・ジィエンウェン、1943年5月18日 - 2017年12月20日)は、中華人民共和国の囲碁棋士。福建省出身、中国囲棋協会所属、七段。全国囲棋個人戦3位など。中国囲棋協会副主席などを務めた。
経歴
[編集]福州市に生まれる。13歳で囲碁を学び、14歳で集中訓練隊入り。1959年に第1回全国運動会出場。全国囲棋個人戦で1964年に6位、66年3位入賞。1963年にから日中囲碁交流で訪中団と対戦し、64年には訪日団に参加。文革が始まり、訓練隊が解散されると故郷の福建に帰った。
1975年全国運動会の個人戦5位。1982年に七段に認定。1992年、百楽杯元老戦で優勝。2003年に中国囲棋乙級リーグで、北京嘉信永延房地産チームのコーチ及び北京大盛盛創の選手、2004年は甲級の京西新興地産チーム監督を務める。中国棋士ランキングでは1999年12月に67位。
中国囲棋協会の副主席及び技術委員会副主任、中国棋院囲棋部副主任、『中国囲棋年鑑』編集委員、福建省囲棋協会事務総長を務める。門下として羅洗河、黄奕中を育て、また北京杏沢囲棋学校を主宰する。2013年に膵癌、2017年に肺癌を発症。治療を続けながら、2017年11月太平本鎮杯中国囲棋元老招待戦準優勝[1]。同年12月に北京市で死去[2]。福建省囲棋協会副会長の羅建元五段は弟。
主な成績
[編集]- 全国囲棋個人戦 1964年6位、1966年3位、1974年5位
- 百楽杯元老囲棋戦 1992年優勝
- 日中囲碁交流
- 1963年 2-2(○田岡敬一、二子×杉内雅男、先×宮本直毅、二子○桑原宗久)
- 1964年 3-6(先○大窪一玄、×今村正道、×平田博則、○工藤紀夫、二子×藤沢朋斎、先×関山利夫、二子○半田道玄、先×橋本誼、×多田良雄)
- 1965年(4月) 0-3(×安部吉輝、×工藤紀夫、×安部)
- 1965年(10月) 0-2-1(ジゴ-谷宮悌二、×谷宮、×木谷禮子)
- 1966年(11月) 2-1-1(ジゴ-石田芳夫、×家田隆二、○武宮正樹、○宮本直久)
- 1973年 0-5(×太田耕造、×石井邦生、×坂田栄男、×菊池康郎、×西村修)
- 1974年 1-2(×倉橋正蔵、×村上文祥、○三浦浩)
- 1975年 0-2(×窪内秀知、×今村文明)
- 1977年 0-2(×東野弘昭、×佐藤昌晴)
- 1978年(11月) 2-1(○岩成公順、×倉橋正蔵、○竹内一雄)
- 1979年 0-1(×羽根泰正)
- 1981年 0-1(×橋本昌二)
- 1983年 0-1(×苑田勇一)
- 中国囲棋甲級リーグ戦
- 2003年(北京大盛盛創)0-1
脚注
[編集]- ^ 中国棋牌網「太平书镇杯元老再相聚 聂卫平胜罗建文蝉联冠军」
- ^ “中国围棋老一辈国手罗建文因病去世 享年74岁” (中文). Sina.com (2017年12月21日). 2017年12月21日閲覧。