織田信常
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永2年(1705年) |
死没 | 寛政2年1月27日(1790年3月12日) |
改名 | 信村(初名)→信常 |
別名 | 津田蔵人、通称:亀次郎、蔵人 |
墓所 | 貞泉寺 |
官位 | 従五位下・備後守 |
藩 | 上野小幡藩世嗣 |
氏族 | 織田氏(信雄系信良流) |
父母 | 父:織田信就 |
兄弟 | 信房、信常、信乗、信右、長顕、信富、津田長季、津田正春正室ら8男3女 |
妻 | 金田房輝娘 |
織田 信常(おだ のぶつね)は、江戸時代中期の上野国小幡藩の世嗣。通称は亀次郎、蔵人。
生涯
[編集]4代藩主・織田信就の次男として誕生。初名は信村。
『寛政重修諸家譜』によれば、「多病によりて嫡子たらず」とある。そのため、織田家の家督を相続せず、家中で津田蔵人と称し、生涯を終えた。
寛政2年(1790年)1月27日死去。享年86。出羽国高畠城下の貞泉寺に葬られた。
一説によれば、金田房輝の娘を妻に迎えて子女をもうけたという。