綾小路有長
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綾小路有長肖像写真 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 寛政4年4月14日(1792年6月3日) |
死没 | 明治14年(1881年)2月12日 |
墓所 | 谷中霊園乙6号5側 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 綾小路家 |
父母 | 父:綾小路俊資 |
妻 | 宇野氏 |
子 | 俊子(豊岡随資室)、綾小路俊賢、珠子(山内豊誠室)、竹子 |
綾小路 有長(あやのこうじ ありなが、寛政4年〈1792年〉 - 明治14年〈1881年〉)は、江戸時代後期、明治時代の公卿、華族、綾小路家14代当主。
略歴
[編集]光格天皇(119代)・仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)・明治天皇(122代)の4代に渡って仕え、正二位権大納言まで昇った。
家の学である郢曲の伝統を守るかたわら、歌書を能くした。
また日光例幣使に選出されたことがあり、玉村宿(群馬県佐波郡玉村町)の本陣であった木島家裏庭に有長が1843年(天保14年)この本陣にて
「玉むらのやどりにひらく玉くしげふたたびきそへかへさやすらに」
と歌った和歌一首が1864年(文久4年)に建立された石碑に刻まれ現存している[1][2]。
歌会始(当時は「歌御会始」)では「発声」の役を最晩年に至るまで務め、明治天皇から褒賞を受けている。
官歴
[編集]系譜
[編集]- 父:綾小路俊資
- 母:不詳
- 妻:宇野氏
- 生母不明の子女
- 女子:俊子 - 豊岡随資室
- 男子:綾小路俊賢
- 女子:珠子 - 山内豊誠継室
- 女子:竹子
参考文献
[編集]- ^ 群馬県教育委員会文化財保護課 編『日光例弊使街道』群馬県教育委員会〈群馬県歴史の道調査報告書〉、1979年3月、11頁。doi:10.24484/sitereports.101967。
- ^ “町史跡 : 木島本陣跡歌碑(きじまほんじんあとかひ)〈下新田〉”. 玉村町ウェブサイト. 玉村町 (2019年3月5日). 2024年4月27日閲覧。 “通例、日光例幣使の帰路は東海道を通りますが、往路だけでなく、帰路も日光例幣使道を利用した参議綾小路有長が書き残した和歌が石碑となって当時の名残を止めています。”
外部リンク
[編集]- 綾小路有長 (あやのこうじありなが) - 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- 架蔵綾小路有長短冊 - 伝統文化★資料室(東京成徳大学日本伝統文化学科)
- 木島本陣跡歌碑(玉村町) - WEB群馬
- 綾小路家(羽林家) - Reichsarchiv 世界帝王事典