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網野善右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
網野善右衛門

網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日天保14年1月11日[1][2] - 1926年大正15年)4月18日[3])は、明治時代の政治家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

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雨宮彦兵衛の二男として甲斐国東八代郡祝村(現・山梨県甲州市)に生まれる[2]1865年慶応元年)同郡錦村の網野治郎右衛門の養子となり、1870年(明治3年)2月、家督を相続する[2]1872年(明治5年)11月、同村戸長に就任し、ついで八代郡第四区第五区蚕種製造世話掛、錦村副戸長、八代郡第五区長兼学区取締役、学区取締総理、学事会員嘱託を経て、1882年(明治15年)9月に錦村村会議員に当選した[2]

1884年(明治17年)9月、東八代郡錦生学校教育連合会議員に転じ、英村錦村所得税調査委員、東八代郡会議員、同郡参事会員、同郡所得税調査委員補欠などを経て[2]1902年(明治35年)1月、山梨県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年1月10日[4]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[3]。ほか、網野銀行の支配人を務めた[1]

栄典

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親族

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  • 長男:網野善一(陸軍中尉日露戦争で戦死。)[2]
  • 婦:満つの(善一妻、衆議院議員広瀬久政妹)[2]
  • 養孫:網野善右衛門(本名勝丸。広瀬久政・さと(善右衛門の妹。雨宮彦兵衛の三女[5])の二男。善一・満つのの長女さちえの夫)[6]
  • 曽孫:網野善彦(歴史学者。2代善右衛門・さちえの四男)[6]

脚注

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  1. ^ a b 人事興信所 1915, あ80頁.
  2. ^ a b c d e f g 甲府興信所 1918, 662頁.
  3. ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 177頁.
  4. ^ 『官報』第5554号、明治35年1月11日。
  5. ^ 人事興信録 第9版 1931, p. ヒ61.
  6. ^ a b 人事興信録 第9版 1931, p. ア125.

参考文献

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