綏嬪朴氏
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綏嬪 朴氏 수빈 박씨 | |
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称号 | 顯穆綏妃(諡号) |
出生 |
1770年陰暦5月8日 朝鮮国 漢城府 |
死去 |
1822年陰暦12月26日 朝鮮国 漢城府昌徳宮徽慶堂 |
埋葬 | 京畿道坡州市徽慶園 |
配偶者 | 正祖 |
子女 |
純祖 淑善翁主 |
家名 | 潘南朴氏 |
父親 | 朴準源 |
母親 | 原州元氏 |
綏嬪 朴氏 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 수빈 박씨 |
漢字: | 綏嬪 朴氏 |
発音: | スビン・パクシ |
日本語読み: | すいひん・ぼくし |
綏嬪 朴氏(すいひん ぼくし、スビン パクシ、수빈 박씨、1770年6月1日 - 1823年2月6日)は、李氏朝鮮第22代国王正祖の後宮で、第23代国王純祖の生母。本貫は潘南朴氏。
生涯
[編集]1770年に朴準源と夫人・原州元氏の三女として生まれる。
王妃(孝懿王后)には子がいなかったため、貞純大妃によって、1787年に側室に選ばれた。同年に正祖と嘉礼を挙げ、側室に昇格。同時に嘉順宮の宮号が与えられた。
1790年に息子の純祖を出産、1793年には淑善翁主を出産する。1800年に息子が世子に封じられるが、同年に夫が崩御してしまう。
夫の死から数日後、息子が王に即位。息子が幼いため、義曽祖母にあたる大王大妃が垂簾聴政を実施。1822年、数え年の54歳で昌徳宮徽慶堂にて死去。
死後、高宗より正祖が「宣皇帝」の廟号を追尊されたことに判い、顯穆綏妃の称号を追贈された。
人物
[編集]義理の祖母にあたる貞純王后、姑の恵慶宮洪氏と正祖の正室である孝懿王后に礼を尽くして、質素に暮らした。温厚で控えめな性格であった。
家族関係
[編集]- 父: 朴準源(1739年-1807年)
- 生母: 原州元氏(1740年-1783年)
- 兄: 朴宗輔(1760年-1807年)
- 兄: 朴宗慶(1765年-1817年)
- 姉: 朴氏夫人 - 申光晦正室
- 姉: 朴氏夫人 - 李堯憲正室
- 継母: 不詳
- 夫: 正祖