金崎宮
表示
(絹掛神社から転送)
金崎宮 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 福井県敦賀市金ヶ崎町1-4 |
位置 | 北緯35度39分52.2秒 東経136度4分26.6秒 / 北緯35.664500度 東経136.074056度座標: 北緯35度39分52.2秒 東経136度4分26.6秒 / 北緯35.664500度 東経136.074056度 |
主祭神 |
恒良親王 尊良親王 |
社格等 |
旧官幣中社 別表神社 |
創建 | 明治23年(1890年) |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 5月6日 |
地図 |
金崎宮(かねがさきぐう)は、福井県敦賀市にある神社である。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社である。
主祭神の一人である尊良親王とその妻の恋愛伝説や(御匣殿 (西園寺公顕女)を参照)、明治40年代(1900年代 - 1910年代ごろ)に始まった花換祭の風習により、「恋の宮」の別名でも知られている。
概要
[編集]当地にあった金ヶ崎城址の麓にある。恒良親王と尊良親王を祭神とする。約1000本のソメイヨシノがあり桜の名所として知られている。4月1日~15日には神事・花換まつりが行われる。天筒山の北面にあり、周辺は金ヶ崎緑地として整備されていて、山麓から本神社を通り山頂に到る遊歩道が整備されている[1]。
歴史
[編集]恒良親王と尊良親王は、足利尊氏の入京により北陸落ちした新田義貞、および氣比神宮の大宮司に奉じられて金ヶ崎城に入ったが、足利勢との戦いにより敗死した。
明治23年(1890年)、尊良親王を祀る官幣中社金崎宮が金ヶ崎城址に創立された。明治25年(1892年)には恒良親王が合祀され、明治26年(1893年)、現在地に社殿が竣工して遷座した。
1933年(昭和8年)10月30日、福井県で行われた陸軍特別大演習終了後、県内を巡幸した昭和天皇が行幸[2]。
絹掛神社(摂社)
[編集]明治30年10月19日、社号を金崎宮摂社絹掛神社として御鎮座祭が執り行われた。 藤原行房卿、新田義顕卿、気比氏治命、気比斎晴命、瓜生保命、瓜生義鑑命、里見時成命、里見義氏命 、由良具滋命、長浜顕寛命、武田与一命などの将士が祀られている。
所在地
[編集]福井県敦賀市金ヶ崎町1-1
交通アクセス
[編集]周辺情報
[編集]- 敦賀港 - 金ヶ崎緑地 - きらめきみなと館 - 旧敦賀港駅舎 - 赤レンガ倉庫 - 洲崎の高灯籠
- 敦賀市立博物館
- みなとつるが山車会館
- 紙わらべ資料館
- 天満神社
- 氣比神宮
- 気比松原 - 西へ約2.0km
関連図書
[編集]脚注
[編集]- ^ “金ヶ崎公園が「日本の歴史公園100選」に選ばれました”. 敦賀市都市政策課. 2017年2月26日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、74頁。ISBN 978-4-10-320523-4。