結城哀草果
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結城 哀草果(ゆうき あいそうか、1893年10月13日 - 1974年6月29日)は、歌人、随筆家。
概要
[編集]山形県山形市菅沢出身。旧姓は黒沼。本名は光三郎(みつさぶろう)。結城家の養子となる。農業に従事。1914年(大正3年)、歌誌『アララギ』に入会し、斎藤茂吉に師事。1926年、選者となる。1955年歌誌『赤光』を創刊。東北の農村生活を歌い、また随筆にしたためた。生涯を山形市菅沢にて暮らし、山形を代表する文化人として地元メディアへの登場も多かった。山形市出身の文芸評論家・池上冬樹は、『文學界』の特集「随筆を読む」にて、優れた随筆として哀草果の小篇を紹介している[1]。
1960年、河北文化賞受賞。1966年、紫綬褒章受章。1969年、勲四等旭日小綬章受章。1971年、山形市名誉市民[2]。1972年、『金日成首相の誕生六十周年を祝う――万寿無疆』(朝鮮画報社)を編集。1974年、勲三等瑞宝章受章。同年6月29日、老衰のため山形市の自宅「樹蔭山房」で死去。戒名は峭峻院達翁道淳居士[3]。
息子の結城晋作(1926年 - 2013年)も山形県歌人クラブ名誉会長などを務めた歌人。歌誌『赤光』を継承し、『山麓』と改称した。
著書
[編集]- 文庫版 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉 1996年11月
- 『村里生活記』 岩波書店 1935年
- 『山麓以外』 歌集 市村利兵衛 1935年
- 『小風土記』 岩波書店 1940年
- 『農民道場』 中央公論社 1943年
- 『農村歳時記』 岩波書店 1944年
- 『田園四季』 随筆 八雲書店 1946年
- 『群峰』 歌集 札幌青磁社 1946年 (アララギ叢書)
- 『農村風土記』 歌集 養徳社 1947年 (養徳叢書21)
- 『まほら』 歌集 養徳社 1948年 (アララギ叢書)
- 『おきなぐさ』 歌集 豊文社 1960年 (赤光叢書)
- 『哀草果 つきぬ噺』 やまがた豆本会 1969年 (やまがた豆本)
- 『樹蔭山房』 歌集 赤光発行所 1971年 (赤光叢書)
- 『茂吉とその秀歌』 中央企画社 1972年
- 『結城哀草果全歌集』 中央企画社 1972年
- 『哀草果村里随筆』 全3巻 中央書院 1973年
- 『樹蔭山房以後』 歌集 中央書院 1977年1月 (山麓叢書)