経学院
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経学院(けいがくいん)は、大韓帝国と日本統治時代の朝鮮に置かれた儒教研究機関。旧朝鮮時代の成均館の後身である。
概要
[編集]前身の成均館は、朝鮮時代の最高教育機関だった。経学院は1887年に成均館に附属する形で発足し[1]、韓国併合後の1911年(明治44年)に朝鮮総督府によって儒教研究機関として改組され、「経学院規程」(政令第74号)を公布した[2]。明治天皇からの恩賜金25万円を基金とし、基金の利子と総督府の補助金によって運営された。
主な事業は、施設内の文廟(孔子廟)において釈奠(儒教の祭祀)を挙行したり、儒教講演会の開催や学術雑誌の発行である。また1930年(昭和5年)には、教育機関として「明倫学院」が附置された[3]。
1945年の朝鮮独立(光復)後は、経学院は元の「成均館」に復し、現在は総合大学の成均館大学校になっている。
職員・講士
[編集]- 大提学
- 副提学
- 祭酒
- 司成
- 直員
- 講士
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 馬越徹「韓国近代大学の成立と展開」 名古屋大学出版会 1995