籾木卿太郎
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もみき きょうたろう / けいたろう 籾木 卿太郎 | |
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生誕 |
1867年12月18日 宮崎県 |
死没 | 1916年8月7日 |
墓地 | 多磨霊園 |
国籍 | 日本 |
子供 | 籾木穂積(長男) 籾木美穂(長女) |
籾木 卿太郎(もみき きょうたろう / けいたろう、1867年12月18日(慶応3年11月23日[1]) - 1916年(大正5年)8月7日[2])は、日本の医師。政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]宮崎県出身[3]。1887年、鹿児島県立医学校(現・鹿児島大学医学部)卒[3]。医師となり、東諸県郡医会長、郡医、校医、日本赤十字社準備医員嘱託となる[3]。
1904年の第9回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1916年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。