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米里恕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

米里 恕(よねざと ひろし 1928年5月10日 - 2018年8月25日)は、旧 大蔵省銀行局長。

来歴・人物

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中国・上海生まれ[1]。旧制都立高等学校を経て、1951年東京大学法学部卒後、大蔵省入省、大臣官房秘書課属。入省同期には山口光秀(事務次官)、加藤隆司(国金局長理財局長)、平尾照夫(IMF理事、東北財務局長)ら。

1972年 証券局資本市場課長を経て、大臣官房調査企画課長名古屋国税局長、大臣官房審議官を経て、1979年4月[1]銀行局長に就任[2]

銀行局長時代には、土田正顕銀行局総務課長、銀行局総務課企画官である坂本導聡(1964年入省)、鏡味徳房(1965年入省)、吉田正輝銀行局担当審議官(1954年入省)らと、およそ50年ぶりに新銀行法改正を成立させ、当時の大蔵主導の金融効率化行政の下、自由競争導入を一歩推し進めた[3]。しかし、新銀行法制定作業を巡り銀行界(全銀協)と対立。銀行界が造反し、時の渡辺美智雄蔵相に直訴したトラブルで、翌1981年夏に更迭された形で退官。代わって銀行局長には宮本保孝(1953年旧制組前期入省)が就いた[4]

新銀行法改正作業の、この功により退官後の1981年、徳田博美や広瀬駿二(商工中金副理事長、元証券局長、1944年入省)の在任期間を短縮して開銀理事に就任し、徳田は商工中金副理事長に回った[3]。1984年商工中金副理事長。1987年10月から1998年6月まで初代の日本証券投資顧問業協会(現:日本投資顧問業協会)会長[1]

脚注

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  1. ^ a b c 歴代の日本投資顧問業協会会長-プレナス投資顧問”. open-waseda.jp. 2024年11月5日閲覧。
  2. ^ 第089回国会 大蔵委員会 第1号 第26号昭和五十三年四月十九日
  3. ^ a b 神一行『大蔵官僚 超エリート集団の人脈と野望』講談社、1982年8月31日、74-76頁。 
  4. ^ 栗林良光『大蔵省権力人脈』講談社文庫、1994年3月15日、40頁。 
先代
徳田博美
大蔵省銀行局
1979年 - 1981年
次代
宮本保孝