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米沢滋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

米沢 滋(よねざわ しげる、1911年2月1日 - 1999年5月2日)は、日本逓信官僚工学者[1]日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任[2]

略歴

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米沢与三七の子として生誕[1]富山県下新川郡入善町出身[3]。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める[4]

超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化[5][6]。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。電気通信研究所の所長時代には、電信電話の近代化に貢献した[4]

その他、電波技術審議会委員、電子技術審議会委員、発明奨励審議会委員、放送技術審議会委員、エレクトロニクス協議会理事、科学技術会議専門委員、電気通信協会理事、日本科学技術連盟理事、日本科学技術振興財団委員、その他の役員を務めた[4]

経歴

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1933年 - 東京帝国大学工学部電気工学科を卒業。逓信省に入省[4]

1935年 - 超短波電波による無線多重電話方式を提唱[6]

1940年 - 超短波電波による無線多重電話方式を世界に先駆けて実用化[5][6]

1965年4月 - 日本電信電話公社総裁に就任[4]

1977年1月 - 日本電信電話公社総裁を退任。

1977年 - 未来工学研究所理事長に就任[1]

主な受賞等

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1982年 - 勲一等瑞宝章を受章[3]IEEEファウンダーズメダルを授与[7]

1983年 - 入善町名誉町民に推挙[2]

出典

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  1. ^ a b c 米沢滋とは”. コトバンク. 2020年12月16日閲覧。
  2. ^ a b “入善町名誉町民米澤滋さんが永遠の眠りに”. 広報入善 (入善町) 号外. (1999-05-27). https://www.town.nyuzen.toyama.jp/hisho/chose/koho/backnumber/1990/documents/1999_06ex.pdf. 
  3. ^ a b “おめでとうございます”. 広報にゅうぜん (入善町) 304. (1982). https://www.town.nyuzen.toyama.jp/hisho/chose/koho/backnumber/1980/documents/1982_12.pdf. 
  4. ^ a b c d e 電子情報通信学会『知識の森』、14群(歴史・年表・資料)、3編 電子情報通信人名録”. 電子情報通信学会. 2020年12月16日閲覧。
  5. ^ a b 電子情報通信学会マイルストーン B-71 超短波電波による無線多重電話方式”. 電子情報通信学会. 2020年12月16日閲覧。
  6. ^ a b c 桑原, 守二 (2015-01-26). 私たちのマイクロ波通信50年. 一般財団法人電波技術協会. p. 19. ISBN 978-4-9906438-2-9. http://www.book-stack.com/browsing/9784990643829t.pdf 
  7. ^ IEEE Founders Medal Recipients”. IEEE. December 16, 2020閲覧。
先代
大橋八郎
日本電信電話公社総裁
第3代: 1965年 - 1977年
次代
秋草篤二