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米子市公会堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
米子市公会堂
東側外観。上部にせり出した内側は2階客席後部、その下層のガラス張り部分はホワイエ 地図
情報
完成 1958年4月12日
開館 1958年
収容人員 1400[1]
客席数 1120席
延床面積 4872.1m²
用途 公会堂
設計 村野藤吾
運営 米子市文化財団(指定管理者
所在地 683-0812
鳥取県米子市角盤町2丁目61番地
位置 北緯35度26分0秒 東経133度19分58.5秒 / 北緯35.43333度 東経133.332917度 / 35.43333; 133.332917 (米子市公会堂)座標: 北緯35度26分0秒 東経133度19分58.5秒 / 北緯35.43333度 東経133.332917度 / 35.43333; 133.332917 (米子市公会堂)
アクセス JR境線富士見町駅から徒歩8分
JR山陰本線米子駅から徒歩20分
外部リンク www.yonagobunka.net/publichall/ ウィキデータを編集
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米子市公会堂(よなごしこうかいどう)は、鳥取県米子市に所在する公会堂である。村野藤吾の設計によるモダニズム建築で、1958年昭和33年)の竣工当時は山陰地方随一のホールとして注目された[1]。米子市において公会堂と称する建造物が建てられるのは2つ目であり、1つ目は湊山公園内に存在していた公会堂で明治39年に竣工、昭和47年に取り壊されている。

建築

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米子市における音楽ホールの建設は戦前からの市民の願いであり[2]1954年には自治会連合会による発案がなされ、財政難の市に代わって1世帯が毎日1円ずつ貯める「1円募金」が呼びかけられた[3]。また、昭和32年4月19日には出羽海一門の巡業を誘致し、その収益も寄付された。その際に使われた土俵は、当時の横綱栃錦千代の山の横綱土俵入りによって地固めがなされ、土俵の土は公会堂に埋められることとなった。その結果、市民から約3000万円[2]、法人寄付を合わせると約5243万円が集まり、その額は総工費1億7600万円の三分の一ほどにのぼる。設計を手掛けた村野藤吾も米子市民の心意気に打たれ、自らの設計料を返上した[3]

建設地は国道181号出雲街道)と国道9号山陰道)が交わる角地で、1945年に廃校になった角盤高等小学校の跡地にあたる[4]。付近には米子髙島屋などがある中心市街地に位置する。1957年4月11日に着工。鴻池組により施工され、約1年の工期を経て1958年4月12日に完成した[5]。道路に面した側は広場や駐車場とし、大ホールは敷地奥に配置された[4]。ホール内の傾斜した客席が外観に表れた形状は、村野が設計前年に訪れたブラジル教会[6]グランドピアノをモチーフにしたとも捉えられている。外壁は山陰地方の特産の石州瓦をベースにした特注の塩焼タイルで仕上げられている[3]。コンクリートの柱梁をむき出しにした意匠は、村野の設計による横浜市庁舎や小倉市民会館(旧 小倉市中央公民館。現存せず)などに共通する[1]

竣工から22年経った1980年、増築を伴う大改修が行われた。改修設計は村野自身が手掛け、外観のイメージは保ちつつホール天井やホワイエは大胆な変更がなされた[3]1998年には鳥取県内で唯一公共建築百選に選定された。

ところが、2006年4月20日付の地方紙に「米子市公会堂“維持か閉鎖か”」というタイトルの記事が掲載される。存続を求める市民により、同年9月に「米子市公会堂の充実を求める会」が発足した[7]

耐震改修工事

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2009年耐震診断が行われ、耐震性の指標の一つであり0.6以上が求められるIs値が0.15しかないことが判明した[7]。大ホールは使用停止になり、公会堂自体の廃止が検討された。2010年5月に、日本建築学会中国支部から野坂康夫米子市長に宛てて「米子市公会堂の保存に関する要望書」が提出された[4]。6月には「米子市公会堂の充実を求める会」を中心とした「米子市公会堂の存続と早期改修を求める市民会議」が結成され、存続に向けた署名活動が行われ[8]、7月28日までに44,202筆の署名が米子市議会に提出された[9]。米子市が市民3000人を対象に行ったアンケート結果では存続45.4%、解体38.2%と存続票が上回った[3]。これを受け、11月25日の市議会で米子市長は存続の意向を表明した[7]。12月24日の市議会では、1票差で公会堂の存続が議決された[3]

改修工事の設計業者はプロポーザル方式で募集され、2011年8月に日建設計・桑本総合設計特定設計業務共同企業体が選定された[10]2012年9月に、全面閉館して改修工事に着手[11]。改修施工は鴻池組・美保テクノス・平田組共同企業体により行われた。米子市公会堂は公会堂棟と背後の楽屋棟、南側の管理棟の3棟で構成されるが、管理棟は耐震基準を満たしており、改修の対象からは外された[12]

接合部の強度が不十分で剛性が不足していた屋根は撤去され、軽量な材質で架設し直された。天井は複雑な三次元構造で、当時の図面も不正確なものであったが、三次元スキャナの導入で1980年改修時の状態の再現に成功した。せりあがった2階客席部分が地面に接しておらず、荷重の適切な伝達ができていなかったが、ホールとホワイエの間の壁を耐力壁化し、基礎のフーチングの増設、床の増厚などにより地震力の伝達ルートを設けた[5]。壁の新増設については、意匠に影響しない位置を選んで施工されている。外壁の塩焼タイルを製造していた業者はすでに廃業しており、状態の良いものはそのまま使うとともに、モックアップを9回作って既存のタイルと新たに焼き上げたタイルを調和させた。幹線道路の交差点に近く、従来はわずかに道路騒音が聞こえていたが、換気口をふさぐことにより静粛性が向上した[7]。客席数は従来と同じく1120席で、黄金色のモケット張りの座席は従来のイメージを踏襲しつつ、座り心地が改善された。扉の引き手や手すり、照明などは改修前のものを保存し、再利用されている[6]。この改修工事により、Is値は0.70以上となり、目標とする0.675を上回る耐震性能が確保された[12]

「米子市公会堂の充実を求める会」と「米子市公会堂の存続と早期改修を求める市民会議」は「米子市公会堂市民会議」に改組し、1円募金に倣って1000万円を越える募金を集め、備品や什器類を寄贈した[3]

約1年半の工期を経て、2014年3月29日に再オープンの記念式典を挙行[11]。同年5月18日には、こけら落し公演として米子市音楽祭のオープニングコンサート「祝宴」が開催された[6]

2017年度の開館日数359日のうち、大ホールは169日間利用され、集会室や前庭を含めた年間利用者数は145,207人に上った[13]

交通アクセス

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※路線によっては「公会堂前」に止まらず150m手前の「髙島屋前」で下車する必要がある。
  • 米子駅行き上り線には「公会堂前」バス停は存在せず、「髙島屋前」で下車。

脚注

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  1. ^ a b c (村野藤吾研究会 2009, pp. 148–149)
  2. ^ a b 米子観光ガイド 米子市公会堂”. 米子市観光協会. 2020年1月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 村野藤吾「米子市公会堂」。市民の力で閉鎖から一転、リニューアルへ”. LIFULL HOME'S PRESS. 2020年1月31日閲覧。
  4. ^ a b c 米子市公会堂についての見解” (PDF). 日本建築学会中国支部建築歴史意匠委員会 (2010年5月25日). 2020年2月2日閲覧。
  5. ^ a b 市民に愛された姿をそのままに 現代に求められる性能向上を実現させた「米子市公会堂」”. 日建設計. 2020年2月2日閲覧。
  6. ^ a b c 市民が愛する米子市公会堂リニューアルオープン記念コンサート「祝宴」開催!”. コトブキ (2014年9月22日). 2020年2月2日閲覧。
  7. ^ a b c d 再生建築─名建築を原形そのままに 現代に蘇らせた事例~米子市公会堂~”. 経済調査会 けんせつPlaza (2017年2月13日). 2020年1月31日閲覧。
  8. ^ 米子市公会堂市民会議とは”. 米子市公会堂市民会議. 2020年2月2日閲覧。
  9. ^ 耐震診断・使用停止から公会堂存続決定にいたる経緯”. 米子市公会堂市民会議. 2020年2月2日閲覧。
  10. ^ 公会堂耐震補強及び大規模改修工事基本設計業務プロポーザル二次審査の結果』(プレスリリース)米子市文化振興課、2011年8月31日https://www.city.yonago.lg.jp/10798.htm2020年2月2日閲覧 
  11. ^ a b 米子市公会堂がリニューアルオープンします』(プレスリリース)米子市文化振興課、2014年3月6日https://www.city.yonago.lg.jp/14658.htm2020年2月2日閲覧 
  12. ^ a b 米子市公会堂 村野デザインの保全・継承 既存屋根の撤去・再構築による耐震化” (PDF). 日本建設業連合会 (2018年). 2020年2月2日閲覧。
  13. ^ 平成29年度米子市公会堂・同文化ホール・同淀江文化センターの管理業務に関する事業報告書” (PDF). 米子市文化財団 (2018年4月27日). 2020年2月4日閲覧。

参考文献

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  • 村野藤吾研究会『村野藤吾建築案内』TOTO出版、2009年11月26日、148-149頁。ISBN 978-4-88706-306-8 

関連項目

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外部リンク

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