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篠原佐吉兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
篠原 佐吉兵衛
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄5年3月5日1562年4月18日
別名 左吉兵衛、左橘兵衛
主君 三好実休
氏族 篠原氏
父母 父:篠原長政
兄弟 四宮某、長房佐吉兵衛、某(淡路のへき)[1]
伊沢頼俊の姉[2]
鶴石丸[2]
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篠原 佐吉兵衛(しのはら さきつべえ、さきつびょうえ)は、戦国時代阿波国武将夷山城主。篠原長房の弟。名は左吉兵衛[2]左橘兵衛[3]とも。

生涯

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弘治年間に夷山城主となる[4]

永禄5年(1562年)3月5日、和泉国で行われた久米田の戦いに兄・長房らと共に出陣した[5]。『三好記』には三好実休旗本として佐吉兵衛の名が記されている[6]。この戦いで三好勢は総大将の三好実休が討死するなど、畠山高政を相手に大敗を喫しており、佐吉兵衛もまた戦死したという[5]

子息

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佐吉兵衛には、討死した年に誕生した子・鶴石丸がいる[2]。鶴石丸は伯父・長房に引き取られ[2]元亀4年(1573年)に長房の居城の上桜城三好長治細川真之に包囲された際に[7]、家臣・庄野和泉守に連れられて城から逃れたとされる[8]

従来の研究では、鶴石丸はこの後篠原右京進と称し、阿波三好家を継承した十河一存に仕えたとされてきたが[2][4]、近年では右京進は鶴石丸でなく長房の子の松満(松満丸)に比定されている[9][10]

脚注

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  1. ^ 若松 2013, pp. 26–29.
  2. ^ a b c d e f 若松 2013, p. 29.
  3. ^ 平井 2023, p. 187.
  4. ^ a b 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第15巻 香川・徳島・高知』新人物往来社、1979年、236–237頁。全国書誌番号:80005281 
  5. ^ a b 若松 2013, pp. 28, 42–44; 平井 2023, p. 187.
  6. ^ 若松 2013, p. 43.
  7. ^ 平井 2023, p. 193.
  8. ^ 「三好記」「昔阿波物語」(山本大 校注『四国史料集』人物往来社〈第二期戦国史料叢書5〉、1966年、259–261、314–315頁。全国書誌番号:50007667
  9. ^ 天野忠幸 著「総論 阿波三好氏の系譜と動向」、天野忠幸 編『阿波三好氏』岩田書院〈論集 戦国大名と国衆10〉、2012年、21頁。ISBN 978-4-87294-770-0 
  10. ^ 平井 2023, p. 200.

参考文献

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