笹野梅太郎
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笹野 梅太郎(ささの うめたろう、1871年1月19日(明治3年11月29日)[1] - 没年不明)は、日本の篤農家[2]、実業家、政治家、和歌山県多額納税者[3][4]。和歌山県日高郡稲原村長[5]。族籍は和歌山県平民[1][6]。
人物
[編集]和歌山県平民・笹野勇助の長男[1]。父退隠の後を承け、家督を相続する[3]。農業を営み、会社重役である[3]。旭セメント[1]、熊野電気、南海醋酸[6]、南海紙業、南海信託各取締役[3]、南海信託土地、日高信託[6]、日出紡織、和歌山産業各監査役などをつとめた[3]。住所は和歌山県日高郡稲原村[4][6](現・印南町)。
家族・親族
[編集]- 笹野家
- 父・勇助(和歌山平民)[1]
- 妻・ナミエ(1881年 - ?、和歌山、瀬見伊助の四女)[1][6]
- 二男・勇(1904年 - ?)[3]
- 三男・英(1907年 - ?)[3]
- 長女[6]
- 二女[1]
- 孫[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』さ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月15日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第11版 上』サ180頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月15日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 和歌山県65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月17日閲覧。
- ^ 『市町村治績録 改訂第2版』和歌山県21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第7版』さ116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。