笹川博
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(笹川博史から転送)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県浦和市 |
生年月日 | 1953年5月5日(71歳) |
身長 体重 |
185 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト8位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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笹川 博(ささがわ ひろし、1953年5月5日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)[1]。現在は横浜DeNAベイスターズの取締役。
経歴
[編集]中学までは投手だった[2]。野球部監督の長谷川和雄から誘われ、埼玉県立大宮高校に進学[2]。大柄の体格を買われ、捕手に転向した[2]。高校2年生の秋、1970年秋季県大会決勝に進出するが、深谷商の竹内広明に完封を喫する[2]。高校3年生夏の1971年夏の県大会でも準決勝に進むが、熊谷商に敗退し甲子園には出場できなかった[2]。
1971年ドラフト7位で大洋ホエールズへ入団。愛称は「ペロ」[1]。長身の大型捕手として期待されるが、伊藤勲、福嶋久晃、辻恭彦と層の厚い捕手陣もあって一軍に上がれず、主に一軍、二軍でブルペン捕手を務めることが多かった[2]。ファームでは内・外野も経験し、別当薫監督の提案で一時投手にも挑戦した[3]。1980年には博から博史に改名。10年間の現役生活で一度も一軍の試合出場はなく、1981年限りで現役引退。
現役引退後1982年、サラリーマンに転身したものの、その直後に球団からの誘いでスカウトに就任[4]。1986年からはスコアラーを務める。その後フロント入りした。1998年に運営部長に就任し、選手の査定などを担当。2003年に失敗続きのFA、外国人選手獲得、トレード補強戦略の責任をとらされ、運営部長から業務部長へ更迭。2009年から取締役・業務部門統括に就任。
女優の岡崎友紀とは、地元の埼玉県で小学校、中学校と同級生だったという[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 69 (1972年 - 1974年)
- 37 (1975年 - 1981年)
登録名
[編集]- 笹川 博 (ささがわ ひろし、1972年 - 1979年)
- 笹川 博史 (ささがわ ひろし、1980年 - 1981年)
出典
[編集]- ^ a b c 日刊スポーツ1978年3月6日2面「NEWパワー 大洋 笹川博 ユッコ岡崎友紀 約束は守るぜ」
- ^ a b c d e f “プロ10年間一軍出場0からDeNA常務になった男 笹川博氏が半生を振り返る(その1)”. スポーツ報知. 2022年3月5日閲覧。
- ^ ““横浜”一筋40年!節目で人生の妙 横浜DeNAベイスターズ取締役 笹川博氏(58)”. zakzak by夕刊フジ. 2012年1月20日閲覧。
- ^ “プロ10年間一軍出場0からDeNA常務になった男 笹川博氏が半生を振り返る(その2)”. スポーツ報知. 2022年3月5日閲覧。