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第19回天皇杯全日本サッカー選手権大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全日本蹴球選手権大會
開催国 日本の旗 日本
開催期間 1939年6月9日-11日
参加チーム数 8
優勝 慶應BRB
準優勝 早稲田大学
試合総数 12
1938
1940
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この項目では1939年6月9日から11日まで明治神宮外苑競技場において開催された全日本蹴球選手権大會(ぜんにほんそうごうしゅうきゅうせんしゅけんたいかい)について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第19回大会に当たる。

概要

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明治神宮競技場で行われた本大会には8チームが参加。この回は大会フォーマット、とりわけ予選方式が大きく変更された。まず地域別の予選があった後、同予選を勝ち抜いたチームによる「地方対抗試合」が各地で行われた。前回大会の成績によって3次予選からのシードとなった関東A(早稲田大学)、関西A(関西学院大学)、朝鮮A(延禧専門学校)の3チームは順当に本大会に駒を進め、結局本大会に揃った8チームはすべて関東、関西、朝鮮の3地域で占められた。

準決勝の早稲田対全普成は、延長終了直前に全普成の金容植が同点ゴールを決めて2-2で試合が終わり、抽選により早稲田大学が勝利した。

決勝戦には慶應BRBと早稲田大学が勝ち残り、前回に引き続き早慶戦となった。試合は後半20分過ぎから雨の降る中、[1] 1-1で延長戦にもつれ込んだ。延長前半に早稲田の渡辺が2点目を挙げて一時リードしたが、直後に慶應が小畑のゴールで追いつき、延長後半終了1分前に二宮洋一がドリブル突破からのシュートを決めて、3-2と逆転した[1][2]。慶應はこれが4度目の優勝となった。[1]

この大会では順位決定戦も行われ、1位から8位までの順位が定められた。

予選

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[2][3]

地方予選

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各地方予選を勝ち抜いたのは以下のチーム。関西学生トーナメントにはすでにシード権を持つ関学が優勝したため、準優勝の神戸高商が繰り上げ出場。関東B、Cと関西B、朝鮮Bは本大会からの参加。北海道、東北、東海、北陸、中国、九州は第2次予選(地方対抗試合)に進む。

第2次予選

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  • 東北代表対北海道代表
    • 東北帝国大学 2-0 北海道帝国大学(札幌で開催)
  • 東海代表対北陸代表
    • TSK 2-1 四高(5月14日に金沢の四高球場で開催)
  • 中国代表対九州代表
    • 興文クラブ 8-0 五高(熊本で開催)

第3次予選

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第2次予選に勝利した3チームと、第3次予選からの参加となるシードの3チームが参加。勝ったチームが本大会に進む。関西B(大阪倶楽部)対台湾と関東州の勝者による試合はこの年は実施されず。

  • 早稲田大学 4-0 東北帝国大学(5月28日に仙台の第二高等学校蹴球グラウンドで開催)
  • 関西学院大学 7-1 TSK(5月28日に金沢の四高球場で開催)
  • 全延禧 6-0 興文クラブ(6月2日に広島高等学校グラウンドで開催)

出場チーム

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結果

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[2][3]

 
1回戦準決勝決勝
 
          
 
1939年6月9日、12:30
(主審:小長谷)
 
 
早稲田大学6
 
1939年6月10日、15:15
(主審:竹内)
 
神戸高商0
 
早稲田大学 (抽選)2 (aet)
 
1939年6月9日(主審:高山(忠))
 
全普成2
 
全普成4
 
1939年6月11日、16:30
(主審:高山(英))
 
関西学院大学0
 
早稲田大学2
 
1939年6月9日(主審:野村)
 
慶應BRB3 (aet)
 
延禧専門0
 
1936年6月20日(主審:小長谷)
 
慶應BRB4
 
慶應BRB4
 
1939年6月9日(主審:清水)
 
東京帝国大学1 3位決定戦
 
大阪クラブ0
 
1939年6月11日
 
東京帝国大学6
 
全普成5
 
 
東京帝国大学3
 

決勝戦メンバー

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慶應BRB
GK 津田幸男
RF 石川洋平
LF 加藤嗣夫
RH 高島良輔
CH 田中晋哉
LH 笠原隆
RWF 篠崎三郎
RIF 播磨幸太郎
CF 二宮洋一
LIF 小畑実
LWF 渡辺義良
早稲田大学
GK 不破
RF 石川
LF 荘田
RH 三宅
CH 末岡
LH 西村
RWF 米谷
RIF
CF 高橋
LIF 渡辺
LWF 中林

その他の試合

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敗者順位決定戦

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1939年6月10日
12:30
関西学院大学 3 - 2 神戸高商
明治神宮競技場

1939年6月10日
延禧専門 5 - 0 大阪クラブ
明治神宮競技場

順位決定戦

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7・8位決定戦

1939年6月11日
12:30
大阪クラブ 2 - 1 神戸高商
明治神宮競技場

5・6位決定戦

1939年6月11日
13:50
延禧専門 6 - 1 関西学院大学
明治神宮競技場

順位

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[2]

  1. 慶應BRB
  2. 早稲田大学
  3. 全普成
  4. 東京帝国大学
  5. 延禧専門
  6. 関西学院大学
  7. 大阪クラブ
  8. 神戸高商

脚注

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  1. ^ 第3回大会に出場の官立神戸高商とは別の学校

参考文献

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  1. ^ a b c 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。
  2. ^ a b c d 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、116-118頁。
  3. ^ a b 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (5)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年7月号、111頁。
  4. ^ 轡田三男によれば「JSK」。

外部リンク

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