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第101SS重戦車大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第101SS重戦車大隊
大隊の部隊章
創設 1943年7月19日
廃止 1945年5月8日
所属政体 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
所属組織 武装親衛隊
部隊編制単位 大隊
担当地域 イタリア戦線東部戦線西部戦線
戦歴 ヴィレル・ボカージュの戦い
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第101SS重戦車大隊(だい101SSじゅうせんしゃだいたい、Schwere SS-Panzer-Abteilung 101, 略称 s.SS-Pz. Abt. 101)は、武装親衛隊のSS第1装甲師団に配属された重戦車大隊である。主にティーガーI重戦車を装備していた。

ノルマンディー上陸作戦直後のヴィレル・ボカージュの戦いにおいて、第2中隊長ミハエル・ヴィットマンの活躍により連合軍戦車を圧倒した。

概要

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1943年7月19日の命令により、2個中隊からなる重戦車大隊を有する、第1SS装甲軍団が編成された。大隊の司令部はパーダーボルンゼンネラーガードイツ語版に設置された。

大隊は後に、第3中隊も編成され、第1SS装甲連隊の第13中隊から抽出された。1943年8月15日から25日の間に27両のティーガーI戦車が大隊に配備されたといわれる。

1943年7月10日の連合軍のシチリア島上陸にともない、8月、第1SS装甲擲弾兵師団LSSAH(ライプシュタンダーテ・SS・アドルフ・ヒトラー)が東部戦線からイタリアへ送られ、大隊は第1SS装甲軍団のもとでSS重戦車大隊として配属された。大隊は、イタリアの降伏後も、10月までLSSAHと共にイタリアにとどまっていた。

その後、再び東部戦線へ移動し、SS第101重戦車大隊と改称した。東部戦線でもLSSAHと共に戦い、1944年4月4日に、西部への帰還命令が下った。

1943年10月28日、大隊の第1・第2中隊は第1SS装甲連隊の第13大隊へ抽出され、残りの部隊は10両のティーガー戦車と共にゼンネラーガーへ移動し、1944年1月3日に10両のティーガー戦車が補充された。

1944年4月3日から4日の間、大隊はフランスボーヴェに移転し、4月20日、25両のティーガー戦車が配備され。6月1日時点で、大隊の45両のティーガー戦車のうち、37両が起動準備が整っている状態にあった。

1944年6月6日の連合軍のノルマンディー上陸後、6月12日、大隊の先鋒がノルマンディーの前線に到着し、6月末まで戦った。特にヴィレル・ボカージュの戦いでは大きな戦果を挙げた。7月、ティーガーIIへの再装備のため戦線から引き抜かれたが、8月の撤退戦ですべてのティーガーIを失った。

激しい戦闘の後、第1中隊は残りの3両のティーガー戦車を第3中隊に引き渡し、ティーガーIIを装備するためにゼンネラーガーへ移された。 1944年8月中旬、大隊は第7軍上級司令部ドイツ語版(AOK 7)の地域に移動した。

大隊は8月18日にフランスへ戻り、14両のティーガーII戦車が配備された。この車両は、1944年8月23日、第1ドイツ語版第18空軍野戦師団ドイツ語版の反撃を支援したときに初めて使用された。8月25日、大隊のティーガーII戦車2両が第103SS重戦車大隊に移管された。

1944年8月末、第2・第3中隊の全てのティーガー戦車が破壊され、第1中隊は9月5日に1両のティーガーII戦車の救出に成功した。大隊の残存部隊はビーレフェルトで再編されるように命じられていた。

1944年9月9日、残存部隊は、練兵場での休息とティーガーII戦車への再装備を命じられた。 10月17日から11月26日までの間に、34両のティーガーII戦車が配備され、第509重戦車大隊から新たに11両が追加された。

西部戦線への移動は12月5日から始まり、大隊は45両のティーガーII戦車と共に、ラインの守り作戦のために第1SS装甲師団(LSSAH)の指揮下に入ることとなる。

1945年2月12日、大隊は春の目覚め作戦のため、ジェールへ到着し、第1SS装甲師団の指揮下に入った。3月15日、大隊は南方軍集団の下に置かれ、大隊の34両ティーガーII戦車の内、8両のみが起動できる状態にあった。

3月30日、師団がオーストリアに撤退したため、ほとんどの戦車を放棄することになり、残されたティーガーII戦車は4月5日に第509重戦車大隊へ移管された。

5月5日、2両のヤークトティーガーが大隊に配備されたが、そのうちの1両は技術的な問題により故障し、もう1両は、都市の道路封鎖用バリケードとして使用された。

備考

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司令官

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(1944年、ノルマンディーの戦い当時)

大隊長
参謀長
  • エドゥアルト・カリノフスキSS少尉
通信指揮官
  • ヘルムート・デリンガーSS少尉
衛生指揮官
  • ヴォルフガング・ラーベSS大尉博士
中隊指揮官

隷下部隊

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  • 第1中隊 - 指揮官:カール・メビウスSS大尉
  • 第2中隊 - 指揮官:ミハエル・ヴィットマンSS中尉
  • 第3中隊 - 指揮官:ハインリヒ(ハインツ)・クリングSS大尉
  • 第4中隊 - 指揮官:ヴォルフガング・ラーベSS大尉博士

参考文献

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  • トム・イェンツ(著)ヒラリー・ドイル(著)『ティーガーI重戦車1942‐1945』、大日本絵画