第101飛行隊 (航空自衛隊)
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第101飛行隊 | |
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第101飛行隊のF-86D(展示機) | |
創設 | 1958年8月1日 |
廃止 | 1968年10月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
所在地 | 愛知県小牧基地 |
編成地 | 岐阜県岐阜基地 |
通称号/略称 | 101SQ |
上級単位 | 第3航空団 |
最終上級単位 | 中部航空方面隊 |
第101飛行隊(だい101ひこうたい、JASDF 101st Fighter Interceptor Squadron)は、かつて航空自衛隊中部航空方面隊第3航空団隷下だった戦闘機部隊。小牧基地に所属し、航空自衛隊初のF-86D全天候戦闘機装備飛行隊だった。
概要
[編集]1958年(昭和33年)8月1日、航空自衛隊最初のF-86D飛行隊(マザースコードロン)として岐阜基地第3航空団隷下にて発足、1959年(昭和34年)には小牧基地へ移動した。1960年(昭和35年)から運用機種であるF-86Dの機種転換操縦課程(操縦者教育)を任務とする転換訓練飛行隊として活動を開始し、6月6日には2名の第1期生が入った。1967年(昭和42年)から要撃戦闘飛行隊に改編され、アラート任務を遂行した[1]。
1962年(昭和37年)以降、各基地へF-104J戦闘機の配備が開始されたこともあり、千歳基地の第2航空団第103飛行隊とともに1968年(昭和43年)10月1日に閉隊された[1]。
第101飛行隊の部隊マークは当初、第3航空団を示す赤帯3本の上に黄色のシャチホコのデザインだったが、後に赤いシャチホコの下に緑帯を引いたデザインに変更された[1]。
沿革
[編集]- 1958年(昭和33年)8月1日 - 岐阜基地にてF-86D飛行隊として第3航空団隷下で部隊編成[1]。
- 1959年(昭和34年)9月12日 - 小牧基地へ移動[1]。
- 1961年(昭和36年)2月13日~2月15日 - 航空総隊競点射撃競技大会F-86D部門優勝[2][3]。
- 1967年(昭和42年)8月22日 - 機種転換訓練任務終了。要撃戦闘任務付与[1]。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 第101飛行隊閉隊[1]。