第十四号海防艦
第十四号海防艦 | |
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基本情報 | |
建造所 | 横須賀海軍工廠 |
運用者 |
大日本帝国海軍 第二復員省/復員庁 中華民国海軍 中国人民解放軍海軍 |
艦種 |
海防艦(1943年12月) 特別輸送艦(1945年12月) 護衛艦(年月不明) |
級名 | 第二号型海防艦 |
建造費 | 5,363,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1943年10月5日 |
進水 | 1944年1月25日 |
竣工 | 1944年3月27日 |
最期 | 解体 |
除籍 |
1945年10月5日(日本海軍) 1947年7月6日(復員庁) 1982年(中国人民解放軍海軍) |
改名 |
第十四号海防艦(1943年12月) 海第十四号(1945年12月) 武昌(年月不明) |
要目(竣工時) | |
基準排水量 | 740トン |
全長 | 69.50m |
最大幅 | 8.60m |
吃水 | 3.05m |
機関 | 艦本式甲25型1段減速式オールギヤード蒸気タービン1基 |
ボイラー | 零号乙一五改型ホ号重油専焼水管缶2基 |
推進 | 1軸 |
出力 | 2,500shp |
速力 | 17.5ノット |
燃料 | 重油240トン |
航続距離 | 14ノットで4,500カイリ |
乗員 | 定員141名[注釈 1] |
兵装 |
45口径12cm高角砲 単装2基 25mm機銃 3連装2基 三式爆雷投射機12基 爆雷120個 |
搭載艇 | 短艇3隻 |
レーダー | 22号電探改4 1基 |
ソナー |
九三式水中聴音機二型甲小艦艇用1基 九三式水中探信儀一型1基 |
第十四号海防艦[注釈 2](だいじゅうよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の7番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事。1947年に賠償艦として引き渡されてから1982年まで現役だった。
艦歴
[編集]計画-竣工-練成
[編集]マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の7番艦、仮称艦名第2707号艦として計画。1943年10月5日、横須賀海軍工廠で仮称艦名第2701号艦、同第2702号艦、同第2703号艦、同第2706号艦、同第2708号艦と同時に起工。12月22日、第十四号海防艦と命名されて第二号型海防艦の7番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。
1944年1月25日、第16号海防艦と同日に進水し、本籍を呉鎮守府に定められる。3月27日竣工し、艤装員事務所を撤去[注釈 3]。役務を呉鎮守府警備海防艦に定められ、呉防備戦隊に編入。4月5日呉に到着し、その後は佐伯で基礎実力練成教育に従事。
1944年5月-9月 第一海上護衛隊
[編集]1944年5月5日、海上護衛総司令部第二海上護衛隊に編入。9日、呉鎮守府作戦指揮下に編入。軍隊区分海上護衛部隊に配置され、呉防備戦隊で20日まで訓練に従事。27日、第一海上護衛隊に編入。28日から6月1日まで、呉海軍工廠で舵機の修理を行う。
6月1日、門司へ回航。2日、モタ21船団を護衛して門司発。10日、高雄着。同日、引き続きモタ21船団を護衛して高雄発。13日、マニラ着。18日、ミ船団の一つのミ05船団(マニラ出港時28隻)を護衛してミリへ向けマニラ発。23日、ミリ着。27日、復航のミ06船団を護衛して内地へ向けミリ発。
7月2日、中継地のマニラに入港。4日、引き続きミ06船団を護衛してマニラ発。10日、中継地の高雄に入港。12日、引き続きミ06船団を護衛して門司へ向け高雄発。17日、門司着。24日、ミ13船団(18隻)を護衛してミリへ向け門司発。31日、中継地の高雄着。
8月4日、引き続きミ13船団を護衛して高雄発。8日、中継地のマニラに入港。11日、引き続きミ13船団を護衛してマニラ発。12日、ミ13船団は潜水艦の攻撃を受けたため、パラワン島に退避。14日、引き続きミ13船団を護衛してパラワン島発。18日、ミリ着。19日、ミシ07船団(8隻)を護衛してミリ発。21日、中継地のクチンに入港。本艦はクチンでミシ07船団から分離。24日、シミ09船団(4隻)を護衛してクチン発。25日、ミリ着。29日、ミ14船団(8隻)を護衛してミリ発。
9月1日、バングイで仮泊。2日、バングイ発。5日、中継地のマニラに入港。9日、引き続きミ14船団を護衛してマニラ発。途中サンフェルナンド、ラボック湾を経由して、18日高雄着。20日、引き続きミ14船団(高雄出港時5隻)を護衛して高雄発。途中泗礁山を経由し、29日門司着。門司到着後、本艦は佐世保に回航。30日から10月7日まで、佐世保海軍工廠で訓令工事を行う。
1944年10月-1945年2月 第十二海防隊
[編集]1944年10月8日、ミ23船団を護衛するため佐世保発。9日、三池着。船団はここで編成を行う。14日、船団は佐世保に回航。18日、ミ23船団を護衛して佐世保発。ミリへ向け航行中の20日、本艦は第十二海防隊に編入[注釈 4]。24日、船団は潜水艦の攻撃により損害を出し、26日に厦門で仮泊。同日厦門を出て、27日馬公着。船団はマニラ-ミリへ直進せず、西へ大きく迂回する航路を採ることとなった。29日、第十二海防隊はミ23船団を護衛してサンジャックへ向け馬公を出港。11月4日、サンジャック着。
11月9日、シンガポールへ向けサンジャック発。12日、シンガポール着。ミ23船団はミリへ向かわずシンガポールで解散となった。本艦は13日から15日まで、シンガポールの第百一海軍工作部で発電機と探信儀の修理を行う。16日、第十二海防隊はサンジャックへ回航。18日、サンジャック着。20日、第十二海防隊はサマ14A船団(特務艦間宮)を護衛してマニラへ向けサンジャック発。マニラヘ向け航行中の25日、コレヒドール島西方で僚艦の第38号海防艦が被雷沈没。対潜掃蕩と救難を僚艦に任せ、本艦はサマ14A船団を護衛してマニラへ向かう。26日、マニラに到着したがすぐに出港し、第十二海防隊諸艦と合同で対潜掃蕩と第38号海防艦の救難に従事。27日、マニラに帰投。同日第十二海防隊司令海防艦に指定され、海防隊司令角町與平海軍中佐が本艦に乗艦。28日、高雄で編成中のタマ33船団と合同のため、第十二海防隊はマニラを出港。30日、高雄に入港し即日タマ33船団(2隻)を護衛して高雄発。12月2日、サンフェルナンド着
12月4日、第十二海防隊は高雄へ回航のためサンフェルナンド発。7日、高雄着。9日、第十二海防隊はタサ18船団(5隻)を護衛してサイゴンへ向け高雄発。18日、サイゴン着。20日サタ04船団(6隻)を護衛してサイゴン発。30日、目的地の高雄に対する空襲が予想されたため、船団は高雄入港を取りやめて基隆へ向かう。31日、基隆着。
1945年1月3日、第十二海防隊はタモ34船団(元サタ04船団)を護衛して内地へ向け基隆発。9日、門司着。同日第十二海防隊は全艦呉へ回航し、本艦は1月10日から18日まで、呉海軍工廠第三船渠に入渠し修理を行う。19日、門司へ回航し、モタ33船団の編成を待つ。20日、第十二海防隊に第132号海防艦が編入。22日、第十二海防隊はモタ33船団(8隻)を護衛して門司発。29日、陸軍徴傭船くらいど丸が被雷沈没したため、本艦と第16号海防艦は現場に残り乗員の救助と対潜掃蕩にあたる。30日、基隆着。31日、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。
2月13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。
1945年3月-8月 黄海-日本海
[編集]1945年3月1日、本艦は彦島へ回航し、同日から8日まで三菱重工業彦島船渠で入渠して修理を行う。8日、門司へ回航してヒ03船団の編成を待つが、16日には爾後のヒ船団の発航は全て取りやめとなり、第十二海防隊の諸艦は潜水艦撃滅を目的としたAS3作戦に参加することとなった。第十二海防隊は軍隊区分第二哨戒部隊に配され、本艦には第二哨戒部隊指揮官が乗組む。18日に六連を出撃。20日巨文島に到着し、以後同島を中心として5月下旬までAS3作戦に従事。
5月18日、第十二海防隊司令海防艦を本艦から久賀へ変更。31日、第二哨戒部隊指揮官が退艦。
6月3日、第十二海防隊司令海防艦を久賀から本艦に変更。20日、本艦はセタ03船団(3隻)を護衛して大連へ向け青島発。22日、大連着。25日、タフ05船団を護衛して釜山へ向け大連発。7月6日、釜山着。9日、船団を護衛して舞鶴へ向け釜山発。10日、舞鶴着。以後、舞鶴で対潜掃蕩と対空戦闘を行う。
終戦時は七尾に所在。舞鶴に回航し修理を行う。8月22日、呉へ向け舞鶴発。24日、呉着。25日、呉鎮守府第一予備海防艦に定められる。
戦後 復員輸送
[編集]1945年10月5日、復員輸送に使用するため除籍され、帝国艦船特別輸送艦と呼称。15日、呉で砲熕兵装を撤去。29日、呉を出港して呉-フィリピン-呉の航海を皮切りに復員輸送に従事。
12月1日、第二復員省の開庁に伴い、呉地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。20日、艦名を海第十四号と呼称。
1947年2月1日、所管を横須賀地方復員局に改められる。3月10日、特別保管艦に指定され、横須賀特別保管艦艇第六保管群に配される。
7月1日、中華民国に対する賠償艦第一次引渡しのため佐世保を出港。7月6日、海第十四号は特別輸送艦の定めを解かれ、上海で中華民国に引き渡された。
中華民国海軍/中国人民解放軍海軍
[編集]中華民国に引き渡し時は接5号と仮称。艦の状態が悪く上海に繋留されたままとなった。国共内戦で上海が陥落した際に本艦は人民解放軍に鹵獲された。その後ソ連製の武装を装備して護衛艦となり、武昌(Wu-Chang)(215)と命名され東海艦隊に編入された。
1954年の国共衝突では、披山や大陳海域を行動。1955年の一江山島上陸作戦では同島に対して艦砲射撃を行った。
1982年、除籍された。
第十四号海防艦長/海第十四号艦長
[編集]- 艤装員長
- (兼)石川六雄 少佐:1944年2月15日 - 1944年3月1日(本職:第十二号海防艦艤装員長)
- 田邊晃 少佐:1944年3月1日 - 1944年3月27日
- 海防艦長/艦長
- 田邊晃 少佐[注釈 5]/第二復員官:海防艦長 1944年3月27日 - 艦長 1945年12月20日 -
- 横地鑑也 第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1946年1月10日 - 1946年10月30日
- 大蝶浩志 復員事務官:1946年10月30日 -
- (臨時)有留喜郎 復員事務官:1947年6月1日 - 1947年7月6日[注釈 6](本職:海第四十八号航海長)
脚注
[編集]- 注釈
- ^ この数字は特修兵を含まない。
- ^ 本来の艦名表記は第十四號海防艦(1945年12月20日から1947年7月6日までの間は海第十四號)。
- ^ 本艦の艤装員事務所設置日、設置場所、事務開始日は明らかでない。
- ^ 第十二海防隊新編時の所属艦は第14号海防艦、第16号海防艦(マシ03船団護衛中)、第38号海防艦(ミ23船団護衛)、第46号海防艦(ミ23船団護衛)。
- ^ 海防艦長就任発令時の階級は海軍大尉となっているが、艤装員長就任発令時の階級は海軍少佐である。
- ^ 昭和21年7月1日付 復二第67号の定めによる自動解職。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省
- 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
- 昭和19年1月25日付 内令第203号、内令第206号、内令第207号、内令第208号。
- 昭和19年3月27日付 内令第478号。
- 昭和19年10月20日付 内令第1197号。
- 昭和20年1月20日付 内令第52号。
- 昭和20年4月25日付 内令第356号。
- 昭和20年8月25日付 内令第747号。
- 昭和20年10月1日付 軍務一第180号。
- 昭和20年10月12日付 軍務一第192号。
- 昭和19年4月8日付 海軍公報(部内限)第4660号。
- 昭和19年12月11日付 秘海軍公報 第4875号。
- 昭和20年6月15日付 秘海軍公報 第5042号。
- 昭和20年6月19日付 秘海軍公報 第5046号。
- 昭和19年2月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1325号。
- 昭和19年3月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1351号。
- 昭和19年3月2日付 海軍辞令公報(部内限)第1354号。
- 昭和19年3月28日付 海軍辞令公報(部内限)第1394号。
- 呉防備戦隊戦時日誌。
- 第一海上護衛隊戦時日誌。
- 海上護衛総司令部戦時日誌。
- 第十二海防隊戦時日誌。
- 第二復員省、復員庁
- 昭和20年12月1日付 内令第6号。
- 昭和20年12月20日付 内令第12号、官房人第19号。
- 昭和21年7月1日付 復二第67号。
- 昭和21年8月23日付 復二第187号。
- 昭和22年2月1日付 復二第85号。
- 昭和22年3月10日付 復二第177号。
- 昭和22年7月6日付 復二第469号。
- 昭和21年2月2日付 第二復員省辞令公報 甲 第50号。
- 昭和21年11月6日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第83号。
- 昭和22年6月9日付 復員庁第二復員局辞令公報 第38号。
- 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
- 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、朝雲新聞社、1974年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
- 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 51 『真実の艦艇史2』、学習研究社、2005年。ISBN 4-05-604083-4